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 見どころ紹介     バガン遺跡(2)     オールドバガン(都城内)

  バガンの都城は、東から西へ流れてきたエーヤワディー川が屈曲して南へ方向を変える所につくられた。城壁の大きさは、北辺500m、東辺1000m、南辺1150mで、西はエーヤワディー川に面している。城壁は高さ2.4mで、その周囲に幅50mの壕があった。
  都城の東門から南門へ順に紹介する。

 参 考 (別ウィンドウが開きます)
  パガン遺跡の地図(各寺院・パゴダへジャンプ可) →here
  パガン時代の年表・寺院の建立年代 →here 

内容
1.タラバー門
2.マハーボディパゴダ
3.ブーパヤーパゴダ
4.ピタカタイ
5.タンドージャ石仏
6.タビニュ寺院
7.シュエグージーパゴダ
8.ガーチャウェンナダウンパゴダ
9.ナトゥラウン寺院
10.ゴドーパリン寺院
11.考古学博物館 
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マンダレー(全3ページ)
バガン遺跡 概略
(1)ニャウンウー・オールドバガン東部
(3)オールドバガン南部・ミンカバー村
(4)ミンカバー村南・ニューバガン
(5)オールドバガン南東・ミンナトゥ村
ヤンゴン(全1ページ)

◆1 タラバー門
  バガンに王都を建設したピンビャー(Pyinbya)王が、849年に築いたとされる城門。全部で12の城門があったが、当時の城壁や城門は、ここしか残されていない。
  門の両側には、バガンの守護神である兄妹のナッ神が祀られている。向かって左が兄(マハーギリ Min Mahagiri)、右が妹(フニャマドージー Hnamadawgyi)である。
バガンを守護する兄妹ナッ神の言い伝え
  鍛冶職人ティンデ Tint Deは力持ちのうえ人望もあったので、ダガウン国の王は、王位を狙う恐れありと彼を警戒した。危険を感じた彼が身を隠したので、王は彼の妹ソウメヤ Saw Me Yaを王妃にして彼をおびき寄せた。ティンデは捕らえられ木に縛りつけられて生きたまま焼き殺された。目の前で兄を殺された妹は、半狂乱になって火に跳びこみ亡くなった。
  その後兄妹は悪霊となってこの木に住み着いたので、王は木を切り倒してエーヤワディー川に流した。木はバガン王国に流れ着いた。2人は時のバガン王ティンリチャウン Thinlikyaung(4世紀の王)の夢に現れて窮状を訴え、安住の地がもらえるならバガンの町を守護しようと言った。そこでバガンの王はその木を2つに分けて、それぞれ人間の姿を彫って、城門の両側に祀ったという。
タラバー門 クリックで拡大タラバー門 門に祀られるナッ神 クリックで拡大門に祀られるナッ神 城壁と壕 クリックで拡大城壁と壕
 年 代  849年
 場 所   都城の東門。ニャウンウーの町と都城を結ぶ道路が通る。
---以前は城内にも集落があったが、遺跡保護のため政府によって移転を強制されたという。
ナッ神
ビルマの民間信仰。おもに、非業の死を遂げた歴史上の人物を神として祀り、守護を得ようとする。あわせて37のナッ神が信仰されている。(日本の御霊=ごりょう=信仰に似ていると思う。)
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◆2 マハーボディパゴダ
中に祀られる仏像 クリックで拡大中に祀られる仏像 塔表面の仏像 クリックで拡大塔表面の仏像 特色ある塔の形 クリックで拡大特色ある塔の形   インド・ブッダガヤにある「マハーボディ寺院」(仏陀の悟りの地に西暦500年ころに建てられた)をモデルにした、バガンでは珍しい様式の仏塔が目立つ。ティーローミンロー王(在位1211-34年)が建設した。
  塔の高さはおよそ43m。塔の表面にはたくさんの龕(がん)が設けられ、1つ1つに仏像が納められている。
 年 代  13世紀前半
 場 所  タラバー門から城内へ入って右手。
1975年の地震で崩壊し、その後再建された。
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◆3 ブーパヤーパゴダ
川沿いのパゴダ クリックで拡大川沿いのパゴダ 寺院入口 クリックで拡大寺院入口   エーヤワディー川沿いに立つ卵形のパゴダ。ここから雄大なエーヤワディー川を望むことができる。夕景も美しいという。
  伝説によると、2世紀後半のピューソーティ王 Physawhtiが建てたパガン最古の建造物とされる。王は、川岸に繁茂する瓜に似た「ブー」という植物を除去した功績で、初代パガン王から後継者に指名された。その記念に瓜(ブー)型のパゴダ(パヤー)をここに建立したという。
  実際には、城壁がつくられた9世紀か、もう少し後世の11世紀ころのものと推定されている。
 年 代  2世紀後半? 11世紀?
 場 所  タラバー門から城内へ入り、三叉路を右へ折れる。突き当たりの川沿いにある。
やはり1975年の地震で崩壊し、塔は川へ崩れ落ちたという。
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◆4 ピタカタイ
ピタカタイ全景 クリックで拡大ピタカタイ全景   バガン朝の祖アノーヤター王が1057年にモン族の都タトンを征服した時、そこから仏典を運ばせた白象がここで動かなくなったので、この経蔵をつくったという。その後、18世紀に時のボードーパヤー王によって修復されている。
  パガン朝時代の経蔵として唯一残された貴重なものである。建物は一辺約15mの正方形で、正面に三つの入口が設けられている。屋根の部分は何層にもなっているが、これは木造建築の様式を模したものとされている。
 年 代  1058年
 場 所  タビニュ寺院の北
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◆5 タンドージャ石仏
石仏を納める建物 クリックで拡大石仏を納める建物 石仏クローズアップ クリックで拡大石仏クローズアップ   およそ10m四方のお堂に、高さ6mの仏座像が納められている。この仏像は1284年、バガン朝最後のナラティーハパテ王(在位1255-87年)によってつくられた。長い時間の中で仏像を覆っていた漆喰がはがれ落ち、中のレンガがむき出しになってしまっている。ミイラ男のようで一瞬ぎょっとするが、当時どうやって仏像をつくったのかがよくわかり、興味深い。
 年 代  1284年
 場 所  タビニュ寺院の北。ピタカタイとタビニュの間になる
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◆6 タビニュ寺院
タビニュ寺院 正門(東側) クリックで拡大寺院正門 タビニュ寺院 隣のパゴダ内から クリックで拡大隣のパゴダ内から タビニュ寺院 全景 クリックで拡大タビニュ寺院全景   12世紀半ば、バガン朝第4代アラウンシードゥー王(在位1113-63年)によって建てられた。寺院は、大きな箱の上に小さい箱が乗ったような2階構造で、頂上に尖塔が立っている。塔の高さは61mでバガンで最も高く、オールドバガンのどこからでも目立つ。
  箱形の建物は、東西南北の入口が出っ張りになっており、この点はバガン朝初期のアーナンダ寺院に似ている。一方、正面(東面)の出っ張りだけが他より明らかに大きくつくってあり、この点はバガン朝後半のゴドーパリン寺院やスラマニ寺院に受け継がれた。その意味から、このタビニュ寺院は、時代的にも建築的にもパガン朝の中期を代表するものかもしれない。
 年 代  1144年
 場 所  城内、南東部。ゴドーパリン寺院の東に当たる
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◆7 シュエグージーパゴダ
  上記タビニュ寺院と同様、12世紀中盤にアラウンシ−ドゥー王によって建てられた。伝説では、王の業績をたたえて地面から3m余りのレンガの固まりが生えてきたので、それを柱の台座に据えて、ちょうど7か月と7日間でこの寺院を建てたという。
  そんな王も最期は哀れだった。王が年を取って病を得ると、息子によって王宮を追放され、南隣のこの寺院に幽閉され、挙げ句の果てに殺害されてしまった、と年代記は語っている。
シュエグージーパゴダとタビニュ寺院 クリックで拡大シュエグージーとタビニュ 王宮跡とシュエグージーパゴダ クリックで拡大王宮跡とシュエグージー 正門(北側) クリックで拡大正門(北側) 正面仏像 クリックで拡大正面仏像
 年 代  1131年
 場 所  タビニュ寺院の北側。旧王宮のすぐ南側に面していた。
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◆8 ガーチャウェンナダウンパゴダ
パゴダ全景 クリックで拡大パゴダ全景   高さ13mの砲弾型パゴダ。かなり古いもので、10世紀のタウントゥージー王が建てたとされる。このタイプの仏塔は、ピュー族の都市国家・シュリークシェートラ(7-10世紀。タイェーキッタヤー、今のピー近くにあった)に残っている。
 年 代  10世紀半ば
 場 所  タビニュ寺院の北西近く
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◆9 ナトゥラウン寺院
寺院正面 クリックで拡大寺院正面 ナトゥラウン寺院(右) クリックで拡大ナトゥラウン寺院(右)   バガンに唯一残るヒンドゥー寺院で、ヴィシュヌ神を祀っている。バガンに上座部仏教が伝わる前に建てられた。バガン朝の事実上の建国者で、上座部仏教の信仰をバガンに根付かせようとしたアノーヤター王は、それまで信仰されてきたヒンドゥー教の神像やナッ神の像をすべてこの寺院に移したと言われる。
  現在は痛みが激しく、外の壁に刻まれた神像もかなり欠けてしまっていた。
 年 代  931年
 場 所  タビニュ寺院の南西近く
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◆10 ゴドーパリン寺院
回廊 クリックで拡大回廊 入口正面の仏像 クリックで拡大入口正面の仏像 寺院正面(東側) クリックで拡大寺院正面(東側)   ナラパティシードゥー王(在位1174-1211年)はスラマニ寺院完成後、この寺院の建設を始め、次のティーローミンロー王(在位1211-34年)の時代に完成を見た。高さ55mはバガンで2番目の高さを誇る。
  ナラパティシードゥー王は自信に満ち、祖先の王を越える業績を上げることを宣言する。しかしその直後盲目となり、自分の傲慢さを恥じた王は祖先への謝罪の意味を込めてこの寺院を建立したと伝えられる。
  タビニュ寺院やスラマニ寺院と構造や外観は似ており、四方の入口に面してそれぞれ仏像が安置されている。内部は回廊で結ばれる。
 年 代  13世紀前半
 場 所  城内の南西部
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◆11 考古学博物館
考古学博物館 クリックで拡大考古学博物館   中は広いがあまり展示物はなく、ガランとした印象だ。閉まっている展示室もいくつかあるうえに、クーラーもなかった。
印象に残っているもの
・ミャゼディ碑文---チャンシッター王時代、1112年のもの。ビルマ・モン・ピュー・パーリの各語が刻まれている。いわばビルマのロゼッタストーン。ビルマ語最古の文献でもある。
・バガン朝時代の人々の生活---当時の壁画等から再現した女性の髪型(なんと55種類もあり、女性のおしゃれは古今東西を問わないものだ)。壺・レンガや仏像のタブレットづくりを示したジオラマ。
 開 館  1998年4月17日(最初は1904年)
 場 所  ゴドーパリンの南、城内の最も南西すみ
 入場料  3500K(約4ドル、2004年)。パガン入域料10ドルとは別に必要。
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