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 見どころ紹介     マンダレー近郊     インワ(アヴァ)・ザガイン(サガイン)・アマラプラ

  マンダレーの近くには、かつて王都が置かれた歴史ある町がいくつか点在する。今では古都というより、すっかりビルマの田舎町の雰囲気だが、マンダレーを起点とした小旅行にちょうどいい。 内容
3都市の歴史
インワ(アヴァ)
ザガイン(サガイン)
アマラプラ
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マンダレー市内(1)
マンダレー市内(2)
バガン遺跡(全6ページ)
ヤンゴン(全1ページ)

◆3都市の歴史
年代王 朝年号摘  要首 都
1300 1299年バガン朝崩壊 
 1315年シャン族が上ビルマ(今日のマンダレー周辺)を制圧しザガインに都をおく。群雄割拠の状態が続き不安定ザガイン
 
1400
インワ朝1364年シャン族の王サトウ・マンパヤー(タドーミンビャー)がシャン・ビルマ連合のインワ朝を始め、新都・ラタナプーラ(「宝石の都」の意味。今のインワ)を築いた。ラタナプーラは、ビルマの代名詞として外国に知られたというインワ
1500
 
  
第1次
タウングー朝
1555年インワはビルマ族のタウングー朝に征服されるタウングー
1600  
第2次
タウングー朝
1629年
 
タウングー朝はインワに遷都(第2次タウングー朝)インワ
1700
 
  
コンバウン朝1752年下ビルマのモン族がインワを征服、タウングー朝滅亡。ビルマ族を束ねたアラウンパヤー王、インワ奪回、コンバウン朝建設シュエボー
(コンバウン)
1760年
1764年
1782年
ザガインへ遷都
インワへ遷都
6代・ボードーパヤー王、インワの北に新都アマラプラ建設、遷都
ザガイン
インワ
アマラプラ
18001823年7代・バジードー王、インワへ再遷都インワ
1841年アマラプラへ再遷都アマラプラ
1857年10代・ミンドン王、アマラプラの北に新都マンダレーを建設し遷都マンダレー
 1885年英軍がマンダレー占領。コンバウン朝滅亡
バガン朝の歴史→here


このように、マンダレー周辺の3都市は、常にビルマ史の焦点であり続けたわけだ。
・・・左の歴史については、「東南アジアを知る事典」(平凡社、旧版・新版とも)、「旅名人ブックス ミャンマー」(日経BP社)を参考にして記述しました。 上へ戻る

◆インワ(アヴァ)
 インワへの道 
船上の様子 クリックで拡大船上の様子 インワの船着場 クリックで拡大インワの船着場 馬車でまわる クリックで拡大馬車でまわる   ミッゲー川を船で渡る。船頭さんが長い竹竿1本で船を操る。船着場には馬車が待っていた。チャーターでも乗合でも利用できるようだ。
城門 クリックで拡大城門 のどかな田舎道 クリックで拡大のどかな田舎道 牛車が現役 クリックで拡大牛車が現役   輝かしい歴史を持つインワは、意外にも町というより村だった。
 (1)バガヤー僧院 
  インワに再遷都したコンバウン朝第7代・バジードー王(在位1819-37年)の時代、1834年の創建で総チークづくり。大きさは約56.5×31m、267本もある柱のうち、最大のものは高さ約18m、周囲は約2.7mもある。建物の壁を飾る木彫りの装飾は見事。
僧院外観(1) クリックで拡大僧院外観(1) 僧院外観(2) クリックで拡大僧院外観(2) 回廊 クリックで拡大回廊 外壁の彫刻(1) クリックで拡大外壁の彫刻(1) 外壁の彫刻(2) クリックで拡大外壁の彫刻(2) 内陣 クリックで拡大内陣
 (2)監視塔 
  元はインワの王宮の監視塔だった。高さ27m。1838年の地震で傾いたので、「インワの斜塔」とよばれることも。田園の真ん中に立つので、上に登ると360度のパノラマが広がり、インワの村の様子や遠くザガイン鉄橋まで見渡せる。
監視塔 クリックで拡大監視塔 監視塔からの眺め(1) クリックで拡大監視塔からの眺め(1) 監視塔からの眺め(2) クリックで拡大監視塔からの眺め(2) 監視塔からの眺め(3) クリックで拡大監視塔からの眺め(3) 監視塔からの眺め(4) クリックで拡大監視塔からの眺め(4)
 (3)マハーアウンミェ僧院 
  バジードー王(在位1819-37年)の第1王妃・ナンマドー=メーヌが王室に仕える高僧のために1822年に建てた。レンガと漆喰で当時主流だった木造を再現しようとした。1838年の地震で被害を受けたが、1872年、メーヌの娘でミンドン王(在位1853-78年)の妃・シンビュマシンが再建した。現在は使われていないが、多くのパゴダが付属し、華やかな雰囲気がある。
僧院外観(正面) クリックで拡大僧院外観(正面) 僧院外観(側面) クリックで拡大僧院外観(側面) 内部の仏像 クリックで拡大内部の仏像 付属のパゴダ クリックで拡大付属のパゴダ
 場 所   マンダレーの南約20km。エーヤワディー川の支流・ミッゲー川を渡ったところ。
入域料 4000K(4.5ドル)。マンダレーやアマラプラも含む共通券なら10ドル。 サガインヒルから見たインワ クリックで拡大
サガインヒルから見たインワ

インワ略史 詳しくは→
14-16世紀に上ビルマを支配したインワ朝の都として栄えた。1629年、タウングー朝がここに遷都。コンバウン朝時代には、1764-82年と1823-41年に王都となった。
地震で崩壊したインワ
1838年の地震で崩壊し、長い歴史を持つこの王都は打ち棄てられた。さらに1939年の地震で、旧跡等はほとんど崩壊してしまった。
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写真 もっと見る
バガヤー僧院正面のパゴダ クリックで拡大
バガヤー僧院正面のパゴダ
バガヤー僧院 猫の通り道 クリックで拡大
バガヤー僧院 猫の通り道
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◆ザガイン(サガイン)
 (1)ザガイン鉄橋(インワ鉄橋) 
鉄橋(1) クリックで拡大鉄橋(1) 鉄橋(2) クリックで拡大鉄橋(2)   エーヤワディー川に架かる約1kmの鉄橋。1934年に英国が建造した鉄道道路共用橋で、まん中に線路が1車線、その両脇に道路が片側1車線ずつある。この鉄橋は軍事的にも重要なようで、歩哨が立っていた。1998年にミッチーナに橋が架かるまで、エーヤワディー川に架かる唯一の橋だった。
 (2)ザガインヒル 
頂上のパゴダ(1) クリックで拡大頂上のパゴダ 頂上のパゴダ(2) クリックで拡大頂上のパゴダ(2) パゴダの仏像 クリックで拡大パゴダの仏像   麓から頂上から約30分かかる。無数の白いパゴダが点在する丘全体が、大きな寺院みたいだ。頂上の寺院・スンウーポンニャシンパゴダは14世紀の創建だという。
 (3)ザガインヒルからの眺め 
中腹からの眺め クリックで拡大中腹からの眺め 頂上からの眺め(1) クリックで拡大頂上からの眺め(1) 頂上からの眺め(2) クリックで拡大頂上からの眺め(2) 頂上からの眺め(3) クリックで拡大頂上からの眺め(3)
  頂上からは、雄大なエーヤワディー川や、対岸のインワなどが手に取るように見える。
 場 所   エーヤワディー川を挟んでインワの対岸。インワ鉄橋(ザガイン鉄橋)を渡ると、ザガインの町になる。
入域料
2000K(約2.3ドル)。鉄橋で徴収される。

ザガイン略史 詳しくは→
バガン朝崩壊後の14世紀前半と、コンバウン朝初期(1760-64年)に短期間王都となった。王都としての歴史は短いが、14世紀以来たくさんのパゴダが造営され、宗教都市として栄えてきた。
新インワ鉄橋
今の鉄橋のすぐ上流側に建設中。2008年中に完成予定という。 上へ戻る

◆アマラプラ
 (1)ウーベイン橋 
橋の渡り口 クリックで拡大 橋の渡り口 途中で曲がっている クリックで拡大 途中で曲がっている 橋の真ん中辺り クリックで拡大 橋の真ん中辺り   タウンタマン湖にかかる約1.2kmのチーク材製の橋。チーク材の橋としては世界最長で、1088本の柱で支えられている。(朽ちたものはコンクリート製のものに替えられているが)。
途中の休憩所 クリックで拡大 途中の休憩所 ビルマのお坊さん クリックで拡大 ビルマのお坊さん 釣りをする人たち クリックで拡大釣りをする人たち   王都がマンダレーに移される際、王宮の資材も運びだされたが、時の市長ウー・ベインは不要なチーク材を集め、1848-51年にこの橋を架けた。
 (2)チャウットージーパゴダ 
  ウーベイン橋を渡りきったところにある。コンバウン朝9代・バガン王(在位1846-53年)が、バガンの有名なアーナンダー寺院をモデルに1847年に建てた。内部の壁画が美しかった。
正面全景 クリックで拡大正面全景 守護神(1) クリックで拡大守護神(1) 守護神(2) クリックで拡大守護神(2) 本尊の仏像 クリックで拡大本尊の仏像
回廊 クリックで拡大回廊 星座の壁画 クリックで拡大星座の壁画 町の様子の壁画 クリックで拡大町の様子の壁画
 (3)パトドージーパゴダ 
大きなパゴダ クリックで拡大大きな 白いパゴダ クリックで拡大白いパゴダ 別のパゴダ クリックで拡大別のパゴダ   バジードー王が1820年に建立。真っ白な大きな仏塔が印象的。
 (4)王宮跡 
王宮跡の建物(1)
王宮跡の建物(1)
王宮跡の建物(2)
王宮跡の建物(2)
山羊の放牧
山羊の放牧
  アマラプラの王城はタウンタマン湖の北にあった。その中央部にあった王宮の建物は建築素材として運び出されてしまい、寂れた建物が2つしか残っていなかった。もしかしたら、6代・ボードーパヤー王と7代・バジードー王の墓廟かもしれない。周りの原っぱには山羊が放牧されていた。
 場 所   マンダレーの南約10km。
アマラプラ略史 詳しくは→
コンバウン朝の1782年に建設され、王都となる(-1823年)。その後、1841-57年にも都が置かれた。
資材を運び出されたアマラプラ
チーク材は新都マンダレー造営の際、石材は英統治下で、それぞれ建築資材として運ばれてしまい、王都時代の建物はあまり残っていない。
アマラプラの現在
織物が特産で、あちこちから機織りのカッタン、カッタンというリズミカルな響きが聞こえる。
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