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アユタヤー歴史公園の見どころ(1)      島内中心部  このページの内容 
◇王宮跡
◇ワット=プラシーサンペット
◇ウィハーン=プラモンコンボピット
◇ワット=プララーム
◇ワット=タンミカラート
◇ワット=マハータート
◇ワット=ラーチャブーラナ

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Map of Ayutthaya Historical Park アユタヤー歴史公園全体図
クリックすると拡大図が別画面で開きます
  チャオプラヤー川、パーサック川、旧ロップブリー川に囲まれた、大きさ4km×2kmほどの川中島(コ・ムアン)が、アユタヤーの中心だ。北西部にある王宮とその東側一帯に重要な寺院が集まっており、観光客でにぎわっている。繁華街は島の東側の大きな市場付近で、こちらは地元の人が集まる地域になっている。ホテルや食堂も島の東部に多い。

◇王宮跡 พระราชวัง
  ワット=プラシーサンペットの北側、草むらの中に何棟かの建物の基壇が残っている。ここがかつてのアユタヤー王朝の心臓部で、華やかな建物が並び、遠く中東やヨーロッパからの使者が出入りし、はたまた権謀術数が渦巻く政治の場だったとはにわかに信じがたい。
  遺跡となった建物あとに興味を持つ人は少ないのだろう、この辺りを訪れる人は意外に少ない。夕暮れ時、当時の栄華に思いをはせながら散策してみたい。芭蕉の「夏草や兵(つわもの)どもが夢のあと」という句が頭をよぎる。
 詳細   元来の王宮は、南側の今のワット=プラシーサンペットの場所にあったが、15世紀後半のトライローカナート王がその北、今の場所に移した。おもな建物は次の通り。(番号と右の図は一致する)
1 サンペット=マハープラサート宮殿・・・トライローカナート王が一番最初に建てた建物で、王の即位式や元服式(頭のまげをそり落とす儀式)のほか、外国使節の謁見も行われ、ラーマーティボディー2世王がポルトガルの使節を、ナーラーイ王フランス王ルイ14世の使節を謁見したのもこの宮殿だった。
2 チャクラワット=パイチャイヨン=マハープラサート宮殿・・・1632年、プラサートトーン王によって王宮の南東の角に建てられた。王宮前広場での閲兵式や観劇などの際に使われた。
3 ウィハーン=ソムデット=マハープラサート宮殿・・・サンペット=マハープラサート宮殿の南にある。やはりプラサートトーン王によって1643年に建てられ、即位式や元服式などが執り行われた。
4 バンヨンラッタナート=マハープラサート宮殿・・・王宮の奥、池に囲まれて建つ。17世紀後半、ナーラーイ王のころ建てられた。
5 トリムック宮殿・・・建設の時代や王名は不詳である。ラーマ5世王が再建し、王宮跡で唯一当時の面影が伺える建物である。
  入場    7:00-18:30。
30B(タイ人10B、ワット=プラシーサンペットと共通)。
王宮の建物

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◇ワット=プラシーサンペット วัดพระศรีสรรเพชญ์
  アユタヤー朝中期の15世紀末に建立された王室寺院。現在のワット=プラケーオに当たる最重要寺院だった。釣り鐘型の3基の仏塔(チェディー)は、王の遺骨を祀るために15世紀末から16世紀前半にかけて建てられ、今日では古都アユタヤーを代表する光景として、あまりにも有名である。仏塔以外の建物は破壊され、基壇や柱の一部が残るのみで、首のなくなった仏像を見ると、時の流れのはかなさ、諸行無常を感じざるを得ない。
ワット=プラシーサンペット クリックで拡大 ウィハーン(右手前)と仏塔
ワット=プラシーサンペット クリックで拡大 3基の仏塔がよく残る
 詳細  この地にはアユタヤー朝の開祖・ラーマーティボディー1世(ウートーン)王が建てた王宮があったが、15世紀後半のトライローカナート王はその北に王宮を移して、王宮付属寺院のための土地とした。
  その息子のラーマーティボディー2世王は1492年、3基の仏塔のうち東側と中央の仏塔を建立し、それぞれ父王トライローカナート王と兄王ボーロマラーチャーティラート3世の遺骨を祀った。さらに1499年には仏塔の東側に大きな礼拝堂(ウィハーン)を建て、高さ16mの大仏を安置した。この大仏は171kgもの黄金に覆われていたが、ビルマ軍によるアユタヤー陥落時に溶かされ奪われてしまったという。
  西側の3基目の仏塔は、ボーロマラーチャーティラート4世王が、父王ラーマーティボディー2世王の遺骨を祀るために建てた。その後、17世紀前半のプラサートトーン王のころ、仏塔の間にモンドップ(塔堂。箱形の建物に尖塔が乗っている。)が3棟建てられたという。1767年のビルマ軍の侵入で完全に破壊されたが、1957年に仏塔の修復が行われた。今日では仏塔3基と、いくつかの建物あとが遺跡公園として整備されている。
  入場    7:00-18:30
30B(タイ人10B、王宮跡と共通)。
アユタヤー観光の一大中心地なので、門前にはみやげ物屋や食堂がずらりと並んでいる。このあたりの名物なのか、大きな袋に入ったエビチップ(?)がよく売られている。なかなかおいしかった。
ワット=プラシーサンペット クリックで拡大
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◇ウィハーン=プラモンコンボピット วิหารพระมงคลบพิตร
ウィハーン=プラモンコンボピット クリックで拡大 白と赤に塗られた大仏殿
  ワット=プラシーサンペットの南(左手)に、白色と赤色に塗られた大きな礼拝堂(ウィハーン)が目に付く。中には15世紀後半に作られた高さ約13mの青銅製の大仏(タイ最大の青銅仏。現在は金箔が張られている)が祀られており、一日中参拝客が絶えない。
 詳細   この大仏の作者や年代は不詳だが、おそらく15世紀後半のトライローカナート王のころのものと言われている。17世紀前半のソンタム王のとき、王族の火葬場所確保のため、もとあった場所から西へ200mほど移されて今の場所に落ち着いたという記録がある。
  この大仏は2度大災難に遭っている。一度目は18世紀初めのスア王の時落雷にあって大仏殿のモンドップが崩壊し首が落ちてしまった。修復されて数十年後、今度は侵入したビルマ軍に金箔を溶かされ、右手が欠落、大仏殿も焼け落ちてしまった。
  ラーマ5世時代に大仏の修復が進み、1956年に今ある礼拝堂が完成した。なお、その前年、1955年には当時のビルマのウー=ヌ首相がアユタヤーを訪れ、過去のビルマ軍の行為に対する謝罪を表明し、この礼拝堂修復のために20万バーツを寄附したという。
  入場    無料だが、タイ人は皆、お布施(20B程度)を納めて、線香や金箔などのお参りセットを求める。
プラモンコンボピット大仏 クリックで拡大 プラモンコンボピット大仏
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◇ワット=プララーム วัดพระราม
ラーマーティボディー1世王像 クリックで拡大 境内にあるラーマーティボディー1世(ウートーン)王像
ワット=プララーム クリックで拡大 ワット=プララームのプラーン
  王宮やプラシーサンペットとマハータート・ラーチャブラナとの間は大きな池のある気持ちいい公園になっている。その池(ブン・プララーム)のほとりに、トウモロコシ型のクメール様式の仏塔(プラーン)が建っている。池に映る姿が美しい。
 詳細   アユタヤー朝の開祖・ラーマーティボディー1世王を火葬し遺灰を祀るために、息子のラーメースワン王が建立した寺院とされる。
  また、沼地から土を王宮や寺院の建設地に運んだため、今日のような規模の池になったという。
  入場    7:30-18:30。
30B(タイ人10B)。
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◇ワット=タンミカラート วัดธรรมิกราช
ワット=タンミカラート クリックで拡大 獅子が取りまくチェディー
  王宮の東に位置するこの寺院には、獅子がずらりと取りまく釣り鐘型のチェディー(仏塔)がある。アユタヤー朝後期の17世紀前半に建立された。塔の上部はなくなってはいるが、獅子はかなりよく残っていて、大きな口を開けたひょうきんな表情を振りまいている。遺跡であると同時に、僧侶が常駐する、現存の寺院でもある。
 詳細  言い伝えによればこの寺院の創建は古く、アユタヤー朝成立以前までさかのぼるという。チェディーの西側には大きな礼拝堂があり、大仏が安置されていた。現在は、他の寺院と同様に基壇と柱が残るのみだが、青銅製の大仏の頭部(高さ1.8m×幅1.4m)が礼拝堂跡から発見され、チャオサームプラヤー国立博物館で展示されている。四角張った顔は、アユタヤー朝初期の「ウートーン様式」の特徴を備えており、この寺院の歴史の古さを物語っている。獅子が取りまくチェディーはクメール風の意匠であることから、クメール風の美術が流行した、17世紀前半のプラサートトーン王のころ建てられたとされている。
  入場    無料
数年前訪れたときには、チェディーの南側に真新しい礼拝堂の建築中だった。現在は完成しているころだろうか。 上へ戻る

◇ワット=マハータート วัดมหาธาตุ
ワット=マハータート クリックで拡大 木の根元に取り込まれた仏像
ワット=マハータート クリックで拡大 寺院の全景
  マハタートとは「仏舎利を祀る寺院」という意味である。かつて寺院の中心には、仏舎利を祀る、高さ50mのプラーン(トウモロコシ型のクメール風の仏塔)が建っていたが、100年ほど前に崩壊してしまった。プラーンを囲むように、いくつか状態のよい仏塔や、多くの建物跡が残されている。
  しかし何といっても有名なのは、木の根元に取り込まれてしまった仏像の頭部だろう。ビルマ軍によるアユタヤー陥落時に破壊された仏像の頭部が、木の成長とともに幹に包まれていったと考えられている。正面(東門)を入って左手の木の根元にあるが、単なる偶然とは思えない造形のためだろう、厚い信仰の対象となっており、いつも花や線香が手向けられている。
ワット=プララーム クリックで拡大 修復されたプラーン
ワット=マハータート クリックで拡大 崩壊したメインのプラーン
 詳細  アユタヤー朝初期の14世紀後半、ボーロマラーチャーティラート1世王が建設に着手し、次のラーメースワン王の時代に仏舎利を祀る高さ38mのプラーンが完成した。アユタヤーで最も重要な寺院の一つで、歴代の王が増改築した。17世紀前半のソンタム王のときにメインのプラーンが崩壊したが、1633年プラサートトーン王は以前より高い、高さ50mのプラーンを再建した。
  このメインのプラーンは、ビルマ軍のアユタヤー占領にも耐えたが、1911年ついに崩壊してしまった。1956年芸術局が発掘調査を行うと、崩れたプラーンの基壇から、7層になったチェディー型の小さな入れ物と、その中に入れられていた仏舎利が発見された。入れ物は現在、チャオサームプラヤー国立博物館に展示されている。必見だ。
  入場    8:30-16:30。
30B(タイ人10B)。
木の根元に取り込まれた仏像は、信仰の対象になっている。写真を撮るときには、人間の頭が尊崇の対象である仏像より上にならないよう十分注意すること。無礼な観光客を見張る警備員(?)がいることもある。
ワット=プララーム クリックで拡大 崩れ去るプラーン
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◇ワット=ラーチャブーラナ วัดราชบูรณะ
ワット=ラーチャブーラナ クリックで拡大 壁が残る礼拝堂。向こうにプラーンが見える
ワット=ラーチャブーラナ クリックで拡大 メインのプラーン
  ワット=マハタートの北に、大きさも伽藍配置もそっくりの寺院が並んで建っている。中央には、アユタヤー朝初期の15世紀前半に建てられたメインのプラーン(トウモロコシ型のクメール風の仏塔)が堂々とそびえ立っている。その地下からは黄金製の宝物が多数発見され、チャオサームプラヤー国立博物館の展示品の目玉になっている。
 詳細   次の王位をめぐってチャオアーイとチャオイーの兄弟がこの近くで騎象戦を戦ってともに戦死した。その結果王に即位した弟のボーロマラーチャーティラート2世(チャオサームプラヤー王)が、兄たちの菩提を弔うため、遺体を火葬した場所に1424年、この寺院を建立したという。
  メインプラーンの東には、長さ63m×幅20mという大きな礼拝堂があった。今でも壁の一部や柱が残り、そこに施されたレリーフが美しい。
  プラーンには2層の地下室があり、壁画や黄金製の仏像、王権を象徴する神器、装身具等が発見された。その一部は盗掘されてしまったが、押収したものやその後の発掘調査で発見されたものは、現在チャオサームプラヤー国立博物館で展示されている。
場所:ワット=マハータートの北西
  入場    8:30-16:30。
30B(タイ人10B)。
ワット=ラーチャブーラナ クリックで拡大 上へ戻る

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