titlelinkbar HOME Chaophraya TOP Ayutthaya TOP back next
アユタヤー歴史公園の見どころ(2)    島内西部および島外西部・南部  このページの内容 
◇ワット=ローカヤスッターラーム
◇チェディー=シースリヨータイ
◇チャオサームプラヤー国立博物館
◇アユタヤー歴史研究センター
◇ワット=ナープラメーン
◇ワット=プーカオトーン
◇ワット=チャイワッタナーラーム
◇St.Joseph教会
◇ワット=プッタイサワン
 
 関連ページへのリンク 
◆見どころ
 島内中心部
 島内西部および島外西部・南部--このページ
 島内・島外南東部
 島外北東部
◆川から見たアユタヤ
◆アユタヤー歴史公園案内
◆アユタヤー朝の歴史
Map of Ayutthaya Historical Park アユタヤー歴史公園全体図
クリックすると拡大図が別画面で開きます
  大きく迂回するチャオプラヤー川に沿って、大小様々な寺院が並んでいる。それぞれ魅力的な寺院だが、バンコクから日帰りで慌ただしくやって来る観光客はまず来ない。遺跡の落ち着いた雰囲気を味わいたい方は、ぜひこの辺りをお薦めする。歴史に興味があれば、博物館もはずせない。

◇ワット=ローカヤスッターラーム วัดโลกยสุธาราม
Wat Lokayasuttharam, Click to enlarge 青い空の下、寝仏が横たわる
  ワット=プラシーサンペットの裏側、歩いて10分あまりのところに、大きな涅槃仏(身長42m)が気持ちよさそうに横たわっている。ワット(寺院)とはいえ、建物は涅槃物の背後にプラーン(トウモロコシ型のクメール様式の仏塔)が1基立っているのみである。行くたびにみやげ物屋が増え、ひなびた風情がなくなるのは少し寂しい。
 詳細   アユタヤ朝後期には、涅槃仏に対する信仰が高まった。この寺院もアユタヤー朝後期の創建と推測されている。往時には大きな3つの礼拝堂、今も残る高さ30mのプラーン、そして涅槃物を覆う大仏殿などの建物が並んでいた。
  入場    無料
Wat Lokayasuttharam, Click to enlarge 寝仏の背後の建物群

上へ戻る

◇チェディー=シースリヨータイ เจดีย์พระศรีสุริโยทัย
チェディー=シースリヨータイ クリックで拡大 対岸はワット=カサット
チェディー=シースリヨータイ クリックで拡大 チャオプラヤー川沿いに立っている
  島の西端、チャオプラヤー川に面したところに、白色で上部が金色の、角張ったチェディー(つりがね型の仏塔)が立っている。1549年ビルマ軍がアユタヤに侵入すると、チャクラパット王の王妃であったスリヨータイは、男装して副王に扮して戦い、傷を負って象の上で亡くなった。その王妃の遺骨を祀る仏塔である。
 詳細  このチェディーが立つのは、後宮(副王の長子の宮殿)の敷地で、シースリヨータイの火葬が行われた場所である。もっともチェディーは12角形という形から、シースリヨータイの活躍したアユタヤー中期ではなく、もっと後世のアユタヤー朝後期のものと考えられている。
  1990年にチェディーの改築を行ったとき、塔の上部から石英製の仏像やチェディー、金箔張りのチェディーなどが見つかった。チャオサームプラヤー国立博物館に展示されている。
  入場    無料
チェディー=シースリヨータイ クリックで拡大 チェディー近影
上へ戻る

◇チャオサームプラヤー国立博物館  พิพิธภัณฑ์สถานแห่งชาติเจ้าสามพระยา
チャオサームプラヤー国立博物館 クリックで拡大
  ここの目玉は、ワット=ラーチャブーラナワット=マハータートから出土した、黄金色に輝く宝物や仏像だろう。本館2階に展示されている。
  その他、県内各地で発見された様々な時代の仏像などが展示されている。冷房はないが、アユタヤーの歴史や遺跡に興味を持つ人は、ぜひご覧いただきたい。
 詳細   [来歴] 1961年12月26日開館。ワット=ラーチャブーラナから発掘された磚仏(せんぶつ。お守り用の小さな仏像)を売却して得た費用で建設された。博物館の名称は、ワット=ラーチャブーラナの建設者・ボーロマラーチャーティラート2世(チャオサームプラヤー王)にちなんでいる。
[みどころ]
・本館1階・・・ワット=タンミカラートから見つかった、アユタヤ初期の青銅仏の頭部。ウィハーン・プラモンコンボピットの大仏の胸から見つかった仏像。ワット=ナープラメーンに安置されているものと一緒に発見されたドヴァーラヴァティー時代の仏像。ワット=プラシーサンペットの木製の扉など。
・本館2階・・・マハータートの部屋:ワット=マハータートの仏塔から見つかった仏舎利とその容器など。ラーチャブーラナの部屋:ワット=ラーチャブーラナの仏塔から発見された黄金製の仏像、王権を象徴する神器、装身具など。
  入場    9:00-16:00。月火休館。30B(タイ人10B)。
[その他のみどころ]
・中部タイの伝統的家屋・・・本館の左手にある。様々な日用品なども興味をそそられる。池の上にあるので、疲れたとき休憩がてらのんびりするのによい。
・タイ美術館・・・上記の奥にある小さな2階建ての建物。県内から発見された仏像などを時代別に展示。 上へ戻る

◇アユタヤー歴史研究センター ศูนย์ศึกษาประวัติศาสตร์
アユタヤー歴史研究センター クリックで拡大 外見は立派。中もおもしろかった
  日本政府の協力で建てられた大きな博物館、資料館。大きな池と噴水が配された真新しい白い建物が目をひく。全館冷房で、寒いくらいだ。
  中は単なる遺物の展示ではなく、たくさんのジオラマを使い、当時の王宮や港の風景、村人の暮らしなどがよくわかるようになっている。こういう博物館は、タイでは珍しいのではないか。入館料が異様に高いが、アユタヤーが栄えた頃に思いを馳せたい方はぜひどうぞ。
 詳細   [来歴] 1987年日本・タイ両国政府は、アユタヤー歴史研究センター設立プロジェクトを、現国王の60歳還暦記念兼日タイ友好600年記念事業として行うことに合意した。日本政府が9億9900万円の無償援助をしている。1990年8月22日開館。
[展示テーマ]
①王都としてのアユタヤー・・・・ワット=チャイワッタラーナームの模型を見て、実物が見たくなり急遽訪れた。
②港湾都市としてのアユタヤー
③政治権力と統治の中心としてのアユタヤー
④昔のタイの村人の生活・・・・農民の日常生活の一端がよくわかり、ここがいちばん興味深かった。
  入場    9:00-16:00。
100B(タイ人?B)。
 
アユタヤ時代の外交について展示する別館が日本町あとにある。残念ながら、ここの展示はパネルが中心で、本館ほど充実していない。元来はここに本館を造る予定だったらしい。
上へ戻る

◇ワット=ナープラメーン  วัดหน้าพระเมรุ
ワット=ナープラメーン クリックで拡大 きらびやかな宝冠仏
  大きな本堂にもびっくりだが、中に安置された金ぴかの宝冠仏にも圧倒される。本来仏像は修行に励むブッダの姿を写し上半身裸なのだが、この宝冠仏は文字通り美しい冠と衣装を身につけており、アユタヤー美術独特のものだという。威風堂々としたその姿は、当時の国王の姿を彷彿とさせ、アユタヤーの繁栄を物語るものかもしれない。
  また、別の小さなお堂には、ドヴァーラヴァティー時代の古い仏像が祀ってある。先ほどの宝冠仏とは対照的な、素朴な姿に親しみがわく。
 詳細  ワット=プラシーサンペットを造営したラーマーティボディー2世王が、1503年に建立した。1549年にはアユタヤーに攻め入ったビルマのブレーンノーン王とチャクラパット王がここで停戦条約を取り結んだ。2度にわたるビルマ軍の侵入の際にもほとんど破壊されずにすんだ少ない寺院で、19世紀前半(ラーマ3世代)に至るまで修復が続けられた。
  本堂は奥行きが41.5mもあるうえに、高い基壇の上に立っているのでたいへん大きく見える。また本堂の内外の至るところに彫られた木彫りにも注目したい。
  宝冠仏は、弥勒菩薩(みろくぼさつ)を表しており、未来仏である弥勒は、現在トサツ天で天人たちを相手に説法をしている。そのため天人たちと同じ服装をしているという。別の説では、宝冠仏はブッダ修行の故事にもとづくという。悪魔はブッダの修行をじゃますべく美しく着飾って踊ったが、ブッダは自らもっと美しく飾り立てて悪魔を追い払った。その姿を表しているという。
  本堂の脇に立つ仏堂にあるドヴァーラヴァティー時代の仏像は、緑色の石でできており、ナコーンパトム県で発見されたと言われている。様々な特徴から、唐時代の中国の影響を受けていると思われる。交易船などが描かれた仏堂の壁画も一見の価値がある。なお、同時に発見された仏像のうち、もう1体はチャオサームプラヤー国立博物館に展示されている。
  入場    20B(タイ人無料?)
ワット=ナープラメーン クリックで拡大 宝冠仏を祀る本堂

◇ワット=プーカオトーン วัดภูเขาทอง
ワット=プーカオトーン クリックで拡大
アユタヤーで2番目に高い塔
  島外の北西部約2kmのところ、田園の中に高さ90mの白いチェディーがそびえ立つ。ワット=ヤイチャイモンコンのチェディー(高さ92m)に次ぐ、アユタヤー第2の高さを誇る。街から少し遠いうえに、チェディーの急階段で息は切れるが、登ればアユタヤーの豊かな風景が一望できる。
 詳細  記録によれば、アユタヤー初期のラーメースワン王の時代に建立された。1569年にアユタヤーを占領したビルマのブレーンノーン王は、それまでのチェディーに覆い被せるように新たなチェディーを建設したという。
  なお、このチェディーに隣接して僧侶の常駐する寺院もある。
  入場     無料
ワット=プーカーオトーン クリックで拡大 チェディーの上から見た田園風景
上へ戻る

◇ワット=チャイワッタナーラーム วัดไชยวัฒนาราม
ワット=チャイワッタナーラーム クリックで拡大 真正面から
ワット=チャイワッタナーラーム クリックで拡大 川から見た全景
  広大な緑の芝生に大小のプラーン(クメール風の仏塔)がそびえ立つ姿は、アユタヤで一番の壮観かもしれない。アユタヤ朝初期のクメール風建築の復活をめざしたプラサートトーン王によって1630年に建立された。アユタヤ滅亡時にビルマ軍の駐屯基地になり、その時首を切られた仏像が回廊にずらっと並ぶ姿は痛々しい。チャオプラヤー川沿岸に位置するが、正面は川の方(東側)に向いているので、ぜひそちらから全景を見てほしい。
 詳細   プラサートトーン王は、王位に就いた直後、亡き母親の供養のためにその住居跡にこの寺院を建立した。または、この寺院はカンボジアとの戦勝記念に建立されたもので、そのためにクメール風の建築にしたのだという説もある。
  中央のプラーンは高さ35mあり、4つの小プラーンがそれを取りまいている。その外側には回廊がめぐらされ、あわせて120体もの仏座像が並んでいたが、現在はそのほとんどは首が切られている。回廊の四隅と四辺の中央部の合計8か所には「メーン」と称される円錐形のお堂が建ち、四隅にはそれぞれ2体の、他にはそれぞれ1体、合計12体のかなり大きな仏像が安置されている。回廊の東側には52.75m×20mという広い本堂の跡があり、台の上には黄色い僧衣を着た仏像が2体(往時はもう1体あった)、川を向いて鎮座している。
ワット=チャイワッタナーラーム
ワット=チャイワッタナーラーム クリックで拡大 メインのプラーン
ワット=チャイワッタナーラーム クリックで拡大 メーン内部の仏像
ワット=チャイワッタナーラーム クリックで拡大 首なし仏像が並ぶ回廊
  入場     8::30-16:30。30B(タイ人10B)。
 
ワット=チャイワッタナーラーム クリックで拡大 回廊の仏像
ワット=チャイワッタナーラーム クリックで拡大 プラーン上からの眺め
ワット=チャイワッタナーラーム クリックで拡大 メーン内部に残る仏像
ワット=チャイワッタナーラーム クリックで拡大 装飾されたメーンの天井
 
この寺院にはアユタヤ時代を代表する詩人の一人、チャオファー・タンマティベートとその愛人の遺体が埋葬されている。タンマティベートはボーロマコート王の王子であったが、父王のハーレムに侵入して密通を重ねたため、2人とも庶民に落とされた後鞭打たれ絶命した。 上へ戻る

◇St.Joseph教会  โบสถ์เซนต์ยอเซฟ
St.Joseph教会 クリックで拡大 川から見た教会
  ワット=チャイワッタナーラームからチャオプラヤー川をしばらく下ると、左手に一見アユタヤに「ふさわしくない」感じの、オレンジ色の教会が現れる。アユタヤ朝後期、17世紀後半のナーラーイ王の時代に、フランス人居住区に創建されたこのカトリック教会は、当時のアユタヤの国際性を示している。


 詳細  フランス人居住区は、ナーラーイ王の時代に始まり、宗教関係者を中心に1500~2000人のフランス人がいたという。ルイ14世時代のフランスから派遣されたイエズス会宣教師団が、1662年ナーラーイ王に教会と学校の設立を求めると、王は土地や建設資材を与えて援助したという。当時この教会には様々な国の神父に混ざって日本人の神父もいたという。
  ナーラーイ王が亡くなると、王位を奪ったペートラーチャー王はナーラーイ王の親フランス政策を改め、フランス人を逮捕しこの教会も取り壊したが、その後教会や学校の再建を許した。ビルマ軍によるアユタヤ占領の際、ここはビルマ軍の基地とされ、最後は焼き払われてしまった。
  現在の教会はラーマ3世の時代(19世紀)に、フランス人のパレゴワ神父によって再建されたものである。
  入場     休日のみ開館(未確認)。無料。
St.Joseph教会 クリックで拡大 教会の正面
上へ戻る

◇ワット=プッタイサワン วัดพุทไธศวรรย์
ワット=プッタイサワン クリックで拡大 川から見た寺院全景
  ワット=チャイワッタラーナームから、チャオプラヤー川を少し下ったところにある寺院。アユタヤ朝の開祖・ラーマーティボディー1世(ウートーン)王が最初に建てた宮殿の跡地に建てられた。仏像の並ぶ回廊がクメール式仏塔(プラーン)を取り囲んでいる。僧侶が住む現存の寺院なので、プラーンや回廊などは修復されているが、回廊の東側(奥側)には古い寝仏やチェディー、建物跡などが残り、遺跡の雰囲気も味わえる。
 詳細 
ワット=プッタイサワン クリックで拡大 やや傾いているプラーン
 西方のウートーンから移動してきたラーマーティボディー1世(ウートーン)王は、この地に「ウィエンレック」宮殿を築いて3年間滞在した。その後、島内の新宮殿に移るとこの地に寺院を建立したという。
  メインになるプラーンは、その言い伝えどおりアユタヤ朝初期のものだといわれるが、一方ではアユタヤ朝後期のナーラーイ王かそれ以後のものだというの説もある。その後ラーマ5世王のご訪問にあわせて修復され、さらに近年白く塗られた。プラーンを囲む回廊とそこに並ぶ仏像は、今は遺跡と化したワット=チャイワッタナーラームなどの寺院の、往時の様子を彷彿とさせる。
  寺院の東、僧の居住区に「コーサーチャン御殿」とよばれるアユタヤ朝後期の2階建ての建物が立っている。高位の僧コーサーチャンがスリランカに参詣した様子が、壁画に描かれている。なお、バンコクのジム=トンプソンの家の一部分は、この建物をモデルにしている。
  入場     無料
 
寺院の西には、アユタヤ朝の3人の王の銅像が並んでいる。中央に開祖・ラーマーティボディー1世(ウートーン)王、左にナーラーイ王、右に最後の王・エーカタット王である。
ワット=プッタイサワン クリックで拡大 三人の王の銅像
 
ワット=プッタイサワン クリックで拡大 回廊に並ぶ仏像
ワット=プッタイサワン クリックで拡大 遺跡部分の寝仏
上へ戻る

linkbar HOME Chaophraya TOP Ayutthaya TOP back next