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ナーン 見どころ紹介 (3)  山岳民族の村々  このページの内容 
◇ティン族の村
◇ヤオ族の村
◇モン族の村
◇定住を始めたムラブリ族
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◆見どころ
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 郊外の寺院
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◆旅日記から(08年12月-09年1月)
山岳民族が暮らす山々 クリックで拡大 山岳民族が暮らす山々
  ラオスとの国境に接しているナーン県には、モン、ヤオ、ティン、ムラブリなどの山岳民族が多く暮らしている。チエンマイ、チエンラーイなどと比べると、訪れる旅行者はかなり少なく、利便性は低い。その分あまり観光化されていない村々を訪れることができるのが魅力だ。
 行き方 
  いずれの村も公共交通機関等で行くのは難しいので、旅行会社でツアーをアレンジしてもらうのが現実的だ。
私たちが利用した旅行会社・・・Fhu Travel http://www.fhutravel.com/index.html
  以下、私たちが訪れたのは、ナーン市の南西部、ウィエンサー郡の村々である。

◇ティン族の村 ถิ่น
村の景色 クリックで拡大 村の景色
  なだらかな山並みが幾重にも折り重なって遠くまで続いている。そんな山道の先にティン族の村があった。
  一見すると他のタイ族の村とよく似ていて、高床式の家が並ぶ。ただし、家の土台の柱は一抱えもあるような太い木材を使っている。ガイド氏によると、この木(名前は失念した)はチークと同じくらい高価なもので、今では伐採禁止になっているそうだ。村人は、トウモロコシを栽培したり、竹ひごでニワトリのかごを編んだりして、生計を立てている、という。
  村はずれにこぎれいなキリスト教の教会があった。キリスト教徒もいるが、アニミズム信仰も多いそうだ。
ティン族の家 クリックで拡大 ティン族の家
家を支える大きな柱 クリックで拡大 家を支える大きな柱
こぎれいな教会 クリックで拡大 こぎれいな教会
ティン族
ラワ族ลัวะともいう。ナーン川支流付近、標高750-1000mほどの丘陵地に家を建て、農業や森での採集で生計を立てている。草を編んでいろんな日用品をつくっている。昔から森、水、田畑などの魂や先祖の霊を信じている。最大の年中行事は、「サロート」などと呼ばれる収穫祭である。 up

◇ヤオ族の村 เย้า
  上記のティン族の村に隣り合ってヤオ族の村があった。家は、タイ族や先ほどのティン族と違い、平屋で土間がある。
  中国から200年ほど前以降、移動してきたため、漢族文化の影響を強く受けている。
  年末の12月31日に訪れたので、ちょうど新年を迎える儀式の準備を見ることができた。炭が燻された室内には祭壇が設けられ、祭壇には豚の頭が供えられ、対聯(たいれん。赤い紙におめでたい文を書いたもの)が飾られていた。家の造りといい、中国の農村とよく似ている。さらに驚いたのは、中国語(北京語)を話せる人がいた、ということだ。たまたま対聯に書かれてあった「新年發財」を日本語で読んでいたら、それを聞いたおじさんが中国語で発音してくれた。「新年」は中国語でも「シンニェン」と発音するので、何を読んでいたかわかったのだろう。ガイド氏によると、ヤオ族がみんな中国語を話すわけではないが、話せる人もいるということだ。
新年を迎える儀式 クリックで拡大 新年を迎える儀式
祭壇 クリックで拡大 祭壇
ヤオ族の家 クリックで拡大 ヤオ族の家
ヤオ族
自称はミエン族เมี่ยน。標高1000m以上の高地に家を建てる。雲南・広西・広東等から移住してきたので、言語、父系相続、姓の使用、正月の習慣(中国正月と同じ)など、漢族の文化の影響を受けている。若い女性は刺繍が得意である。女性の民族衣装は、襟に赤いふさを縫い付けた印象的なものである。 up

◇モン族の村 ม้ง
2列に並んでまり投げ クリックで拡大 2列に並んでまり投げ
女の子の衣装に注目! クリックで拡大 女の子の衣装に注目!
  今回は、モン族の村を3つ訪ねることができた。実は旅行会社でツアーを申し込む時、ちょうどモン族の正月(この年は、12月27日-31日。毎年異なる)だからラッキーだ、と言われていた。ガイド氏もモンの正月を見せるため、たくさんのモン族の村をまわってくれたようだ。
  山を分け入っていく。雨期だとぬかるんで車は通れそうもないラテライトの道を行ったところに、ようやく1つめの村があった。村の広場に行くと、村人が大勢集まっていた。女性はみな黒、緑、ピンク色などを基調とした鮮やかな民族衣装を着ている。とても美しい。広場の真ん中では、着飾った若い女性や少女、少年たちが2列に並んで、テニスボールほどの大きさのまりを投げ合っている。まり投げはモン族の正月の行事だという。それを大人たちが眺めている。広場には出店もあって、華やいだ雰囲気だった。
モンの家(2つめの村) クリックで拡大 モンの家(2つめの村)
  すぐ隣が2つめの村だった。民族衣装を着けた女性もいたが、正月ももう終わりという雰囲気だった。この旅行会社のツアーで宿泊に使う村だそうで、竹製のバンガローも見せてもらった。管理人として紹介された女性がなかなかの美人だった。ただし既婚で、夫と兄と一緒に管理しているという。夫と兄はどっかへ遊びに出かけてしまっていた。
  3つめの村は、かなり山を下りた辺り、舗装道路が通る大きな村で、立派な学校があった。校庭にはステージが設けられ、生バンド演奏付きの歌謡ショーが行われていた。立派な照明や音響の設備があり、ビデオカメラを回す人もいた。ステージ前は、民族衣装を着た若者で賑わっていた。きっと友人か知り合いが出演しているのだろう。歌手にレイを渡す人もいた。
  驚いたのは、ケータイで写真を撮っている女の子、茶髪ロン毛でバイクに二ケツしている男の子がいたことだ。タイの普通の若者と全く区別がつかない。当たり前かもしれないが、山岳民族といってもいろいろだ。
立派な学校のある村(3つめの村) クリックで拡大 立派な学校のある村(3つめの村)
校庭の仮設ステージ クリックで拡大 校庭の仮設ステージ
レイを首に歌う女の子 クリックで拡大 レイを首に歌う女の子
モン族(Hmong)
中国ではミャオ族とよばれ、ビルマ、ラオス、ベトナムなどにも住む。総人口は数百万人、ヨーロッパなら1つの国が持てる人口だ。
山の斜面を利用した耕作、茘枝・竜眼などの栽培、豚や鶏などの飼育を行う。家は平屋で高床式ではない。銀細工が得意で、銀は繁栄と幸運の象徴とされ、身につけている人も多い。
彼ら自身の言い伝えによると、チベット高原、シベリア、モンゴルから中国、ラオス、タイへと移住した、という。1890-1900年ころ、ナーン国へ移住してきたと言われる。
なお、ビルマやタイの先住、先進民族、モン族(Mon)とは別である。
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◇定住を始めたムラブリ族 มลาบรี
村のメインロード 右手にブロックの家 クリックで拡大 村のメインロード
右手にブロックの家
  かつて接触することさえ困難で、幻の狩猟民族ともされたムラブリ族の村は、意外にも立派な舗装道路のすぐ脇にあった。ガイド氏によると、この村には30-40軒の家に100人ほどが住んでいるという。森林伐採や開発などで森での生活はだんだん厳しくなり、10年ほど前から王室プロジェクトとして、定住化が進められた。もう森で暮らしているムラブリ族はいないらしい。
  定住化によって彼らの生活は大きく変化した。バナナの葉にかわって、トタン屋根の家に住む。壁は竹製だが、コンクリートブロックで組まれた建築中の家もあった。後述するおじさん以外、みな普通の洋服を身につけている。子どもたちはみなタイ語を話す。村の教習所で教えているという。
  そんな中、ガイド氏が案内してくれたおじさんは、まだ伝統的な暮らしを残しているようだ。あるいは観光客に見せているのかもしれない。おじさんはふんどしを付けているだけ、年齢はわからないそうだ。(おじさんは北タイ語を話した。)森にいた時はイモを掘って食べていたが、獲物になる動物はすっかり減ってしまったそうである。ガイド氏から豚の脂身をもらうと、小刀で切って水と一緒に竹筒に入れ、バナナの葉を詰めてふたをして薪の火にかける。数分後、蒸し上がると竹を割って、小刀で切り分けながら食べる。これを食べると体が温まると言う。
豚肉を調理するおじさん クリックで拡大 豚肉を調理するおじさん
おじさんの家(外観) クリックで拡大 おじさんの家(外観)
おじさんの家(内部) クリックで拡大 おじさんの家(内部)
ムラブリ(マブリ)族
タイでは「ピートーンルアンผีตองเหลือง(黄色いバナナの葉の精霊)」と言われる。森で採集や狩猟を行い、定住せずにバナナの葉をふいた差し掛け屋根の下に住み、バナナの葉が乾燥して黄色く変色すると移動する。
1990年代後半から、タイ政府等による定住促進が始まり、生活も変わった。タイではナーン県とプレー県に300人ほどがいるだけだ。
  この村には次々と観光客がやって来ていた。タイ人10人ほどのグループがお菓子を配り始めると、たちまち子どもたちが集まってきて、目を輝かせて手を差し出す。この光景を見て心配になった。彼らは定住したものの、農業をしているふうでもないし、自立した生活ができているのか。観光客からの「おみやげ」や、政府等の援助に頼る暮らしは、彼らにとって果たしてよいことなのか。難しい問題ではある。
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