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山の向こうの600年の王都
ナーンน่าน
橋の上から見るナーン川 クリックで拡大 橋の上から見るナーン川
  チャオプラヤー川の最大支流・ナーン川が南北に貫流するナーン県は、タイ国北東端、ラオスとの国境に位置する。ナーン県のほぼ中央にあるナーン市まで、チエンマイからはバスで約6時間、いくつもの峠を越えてようやくたどり着く。そのためナーンは長い間半独立状態にあり、独自の歴史と文化が生まれた。
  青い山と清らかな川の流れ、そして穏やかな雰囲気を味わいに、ぜひ訪れてみたい。
 
camera   見どころ
GO市内の寺院・博物館など
有名なワット=プーミンの壁画 クリックで拡大
有名なワット=プーミンの壁画
  町の中心部には、ナーン王国時代以来の数百年の歴史を持つ寺院が集まっている。
►ワット=プーミン
►ワット=プラタートチャーンカム
►ナーン国立博物館
►ワット=フアクワン
►ワット=スアンターン
►城壁あと
GO郊外の寺院
ワット=プラタートチェーヘン クリックで拡大
ワット=プラタートチェーヘン
  ナーン川東岸にあるワット=プラタートチェーヘンは、14世紀の創建。ウサギ年の仏塔としても名高い。町の西の小高い丘に立つワット=カーオノーイからは、ナーン盆地を見渡すことができる。
►ワット=プラタートチェーヘン
►ワット=カーオノーイ
GO山岳民族の村々
モン族の正月 まりを投げ合う クリックで拡大
モン族の正月 まりを投げ合う
  山がちのナーン県には、モン、ヤオ、ティン、ムラブリなどの山岳民族が多く暮らしている。
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pencil   町の来歴~ナーン略史 footfoot  行き方
飛行機・・・・バンコク・ドーンムアン空港からノックエアー(DD)が1日1便。所要1時間40分。
 
鉄道・・・・タイ国鉄の北本線デンチャイ駅下車。チエンマイ往復の優等列車1日6往復がすべて停車。この他昼行、夜行1本ずつデンチャイ発着の列車もある。バンコクから8-12.5時間。デンチャイ駅前からソンテウで30分でプレーのバスターミナルに着く。そこからバスに乗って2.5時間でナーンに着く。あるいはデンチャイで(駅から2-3km)下記のバスに乗り継ぐ。
タイ国鉄HP(英・タイ語)
→here
 
バス・・・・バンコク北バスターミナル(モーチットマイ)から9-10時間。
チエンマイ→ラムパーン→プレー→ナーンというルートでバスが走る。チエンマイから6時間。
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(1)建国とプーカー王朝の時代
1282年ころ プーカー王พญาภูคาがメコン川上流より民衆を率いてヤーン国(今日のナーン県プア郡付近)を建国したという
13世紀末 プーカー王の次男クンフォーンขุนฟอง がウォラナコーン国(今日のプア市)を建国
・南方のスコータイ朝(1240ころ-1438年)との関係を深める
1353/54年 カーンムアン王เจ้าพระยาการเมือง がスコータイの寺院建設に協力し、リタイ王から仏舎利と金銀のお守り仏を授かり帰国。ナーン川東岸のウィアンプーピアンにワット=プラタートチェーヘンを建立して祀る
1359/60年 カーンムアン王は、スコータイとの関係強化のため、都を南方のウィアンプーピアンに移す
1368/69年 パーコーン王เจ้าพระยาผากอง は、干ばつに襲われた都に替わり、ナーン川西岸の現在のナーン市に遷都
1392/93年 パーコーン王とスコータイのマハータンマラーチャー2世が戦時の協力を誓う。両国の同盟は、1438年にスコータイがアユタヤに征服されるまで継続
(2)ラーンナータイ王国の支配
1449年 侵入したラーンナータイ王国(チエンマイ)のティローカラート王に服属。プーカー王家断絶
・文化面では、スコータイの影響が徐々に薄まり、ラーンナータイの影響が強まる
(3)ビルマの支配
1558年 ビルマのバインナウン王がチエンマイを占領。以後200年あまり、ナーンはビルマに服属。
ナーンは何度も独立をめざしてビルマに挑んだ。とくに1703/04年には、町や寺院が焼かれ、多くの住民が森の中に避難したり、ビルマの捕虜になり、町は荒廃した
(4)ラッタナコーシン朝時代--半独立国からタイ王国の一部へ
1788/89年 ビルマが指名したナーン国主アッタウォンパンヨーเจ้าอัตถวรปัญโญ は、バンコクのラーマ1世に服従。以後ナーンを再建するため、タイルー族をナーンへ移住させる
1893年 シャム危機(仏艦隊がチャオプラヤー河口を封鎖)。タイはメコン東岸を仏へ割譲。ナーンは仏領ルアンパバーンに接する国として重要性が高まる。
英仏帝国主義の脅威を受けたタイは、中央集権をはかるため、ラーンナー地方の統治を改革。バンコクより官僚を送り込んで来る
1903年 ラーマ5世はチエントゥンの反乱鎮圧の功にこたえ、ナーン国主スリヤポーンパリットデートเจ้าสุริยพงษ์ผริตเดช をナーン国王に任じた
1904年 ナーンの一部(サイニャブリー)を含むメコン西岸の一部を仏へ割譲
1931年 最後のナーン国主マハープロムスラターダーเจ้ามหาพรหมสุรธาดา の逝去にともない完全にタイの一県となる
1970年代 タイ国共産党がナーン県を拠点に活動
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