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ペッブリー  見どころ紹介(2)   アユタヤー時代の寺院とカオルアン洞窟  このページの内容 
◇ワット=ヤイスワンナーラーム
◇ワット=カムペーンレーン
◇ワット=パイロム
◇ワット=コケーオ
◇ワット=マハータート
◇ワット=サブア
◇カオルアン洞窟
 関連ページへのリンク 
◆見どころ
 2つの宮殿
 アユタヤー時代の寺院とカオルアン洞窟►►Now
旅日記から・・・・ペッブリー・ラートブリー(2007年8月)(ページ)
ワット=ヤイスワンナーラーム クリックで拡大 ワット=ヤイスワンナーラーム
  クメール帝国時代から栄えていた都市であるペッブリーには、その歴史の長さを物語る寺院が多い。とくにアユタヤ朝時代の建物が、いくつか残っているのが印象的だ。また、寺院には、壁画や漆喰のレリーフが残され、仏教芸術という点からも注目される。
  町の北には、タイでもっとも有名な洞窟の1つ、カオルアン洞窟がある。
 旅のHINT   ペッブリーの町はそんなに広くない。主な寺院は、徒歩で十分まわることができる。疲れたら、モーサイを利用しよう。市内なら一律20B、カオルアン洞窟まで30Bだ。(2007年8月)

◇ワット=ヤイスワンナーラーム(Yai Suwannaaraam) วัดใหญ่สุวรรณาราม
本堂外観 クリックで拡大 本堂外観
  17世紀前半のアユタヤ朝後期、プラサートトーン王(在位1629-56年)の時代に創建されたという。当時ペッブリーは商業都市として大いに繁栄したので、それを受けてこの寺院はたいそう立派なものになった。その後、ラーマ5世王(在位1868-1910)のときに一度修復されたのみで、創建当時の趣を残す古寺である。
 本堂 
本堂壁画 天人 クリックで拡大 本堂壁画 天人
本堂壁画 門番と大地の女神 クリックで拡大 壁画 門番と大地の女神
  それほど大きくはないが、中に入ると、一面の壁画に圧倒される。すべてアユタヤ朝時代のものだ。とくに本尊の両脇の壁には、天人(テーワダー)が5段にわたって並び、鮮やかな色彩とともに、極楽の風景を連想させる。また、入口の扉には巨大な門番が2人描かれているが、これはアユタヤ朝第1級の美術とされている。その上に描かれた大地の女神メートラニーと思われる女性像がなまめかしい。これらの壁画は、ちょうど修復中だった。修復が終わったころ、また訪ねてみたい。
  本尊はかつてラーマ4世王が、一時バンコクへ持っていったこともある、有名なものらしい。
趣のある古寺の故か、アユタヤ朝の女傑を主人公にした歴史映画「スリヨータイ」のロケ地になった、と紹介されていた。スリヨータイ王妃の話は、こちら→
本堂の本尊と祭壇 クリックで拡大 本堂の本尊と祭壇
 サーラー=カーンパリエン(パリエン試験の東屋) 
サーラー内部の壁画 クリックで拡大 サーラー内部の壁画
堂々としたサーラー クリックで拡大 堂々としたサーラー
  えび茶色に塗られた建物は、見るからに威風堂々としている。それもそのはず、総チーク造りのこの建物は、アユタヤ朝後期のスア王(在位1703-09年)が、当地出身の高僧・プラソン=ラーチャテンモー(Phrasong Raacha Taengmoo)に下賜されたという、由緒あるものである。その後、高僧が帰郷する際、解体されてこの地に再建された。アユタヤ朝当時の宮殿建築を知る好例とされている。
 経蔵(ホー・トライ) 
池に浮かぶ経蔵 クリックで拡大 池に浮かぶ経蔵
  本堂脇に池があり、その中に3本足の経蔵が建てられている。貴重な経典が、アリに食われないために、こういうつくりをするそうだ。
  なお、この池の対岸から寺院全体を見渡すと、一段と美しい。
サーラー内部 何人かが瞑想中 クリックで拡大 サーラー内部 瞑想中
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◇ワット=カムペーンレーン(Kamphaeng Laeng) วัดกำแพงแลง
ワット=カムペーンレーン プラーンが並ぶ クリックで拡大 プラーンが並ぶ
  クメール式のプラーン(とうもろこし型仏塔)が5基、十字形に並ぶ。東の入口から入ると、一番手前の塔の中は何もないが、中央の塔の仏像が見通せるようになっている。中央の塔の左右の塔にも、それぞれ仏像が祀られていた。一番奥の仏塔は崩壊し、一部が残るのみである。また、名前の通り、赤土(レーン)のブロックが積まれた寺壁(カムペーン)が一部残っていた。
  現在発見されている中で、この町最古の遺跡である。考古学者によると、これらの仏塔は12~13世紀のもので、ジャヤヴァルマン7世王(在位1181-1218年。バイヨン寺院の建立などで名高い)のころのカンボジアの影響を受け、大乗仏教の宗教施設として建てられたらしい。つまり、そのころからここには町があったわけで、ペッブリーは、スコータイ、ロップブリー、ラーブリーなどと並ぶ古い歴史のある町ということがわかる。
  なお、この寺院は単なる遺跡ではなく、仏塔の北側に真新しい本堂も建てられ、僧侶が居住する「生きている」寺院である。
一番手前のプラーン クリックで拡大 一番手前のプラーン
崩れたプラーン クリックで拡大 崩れたプラーン
古い時代の石壁が残る クリックで拡大 古い時代の石壁が残る
中央プラーンの仏像が見通せる クリックで拡大 中央プラーンの仏像が見通せる
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◇ワット=パイロム(Phailom) 
ワット=パイロム 今にも倒れそう クリックで拡大 ワット=パイロム 今にも倒れそう
手前=仏像を祀る 向こうが古い本堂 クリックで拡大 手前=仏像を祀る 向こうが古い本堂
  今にも崩れそうな古寺で、僧侶もいない荒れ寺となっている。本堂は表面の漆喰が剥がれ、積みレンガがむき出しになって、それもところどころ砂に帰りつつある。上部には草まで生えている。しかしよく見ると、窓の上部や屋根の破風などに、レリーフ状の装飾が残っている。建物は程よいサイズで、バランスもよい。これらの装飾などから、この寺院は、アユタヤ朝後期のペートラーチャー王(在位1688-1703年)の時代の創建、または修復だと推定されている。
  本堂となりの大小2体の仏像を祀る建物は、トタン屋根で壁もないが、現在修復工事中のようで、ところどころ真新しい漆喰が塗られていた。
2体の仏像が祀られる クリックで拡大 2体の仏像が祀られる
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◇ワット=コケーオ(Ko Kaeo) วัดเกาะแก้วสุทธาราม
ワット=コケーオ 本堂の壁画 クリックで拡大 ワット=コケーオ 本堂の壁画
  町の南はずれの方にある寺院。壁画中に「仏暦2277年」と書いてあるので、そのころ(西暦1734年ころ)の創建と推定される。アユタヤ朝の末期である。
  この寺院の見所は、アユタヤ朝末期に描かれた本堂の壁画であろう。保存状態もよく、色も鮮やかに残っている。本尊の背後の壁面には、仏陀の成道を阻もうとする「悪魔の来襲」の様子が、迫力を持って描かれている。
悪魔の来襲(本尊の背後) クリックで拡大
悪魔の来襲(本尊の背後)
仏教に帰依する外国人(側面) クリックで拡大
仏教に帰依する外国人
  側面は、三角形の天蓋(傘)と仏塔が交互に並ぶという意外なデザインで、おもしろい。天蓋の下には、仏教の布教についての絵が多いようで、おもしろいのは、頭にターバンを巻いた外国人(顔付きからして、アラブ人やペルシア人だろうか?)が、仏教に帰依する場面である。西洋人と思われる人が、仏僧の説教に耳を傾ける場面もあった。疑問に思ったのは、当時この絵のように、来タイした外国人が仏教に帰依する例は多かったのだろうか。あるいは、仏教側の願望を描いただけなのか。
  なお、本堂はふだん閉まっていることも多いようだ。そのときは近くのお坊さんに声をかけて、開けてもらう。私もそうしようとしたが、たまたま夕方のお勤めの時間になったようで、数人のお坊さんが来て鍵を開けてくれた。
本堂 クリックで拡大 本堂
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側面の壁画1
側面の壁画2
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◇ワット=マハータート(Mahaa Thaat) วัดมหาธาตุวรวิหาร
ワット=マハータート 仏塔はよく目立つ クリックで拡大 よく目立つ仏塔
  町のほぼ中央に立つ寺院で、白いプラーン(とうもろこし型仏塔)は、町のあちこちから見ることができる、ペッブリーのランドマークだ。800年ほど前、クメール帝国(カンボジア)がこのあたりを支配していたころ、大乗仏教の様式で建てられたとされる。建物を飾る漆喰のレリーフで有名だ。
 プラーン 
  真ん中の塔は高さ42mで、その周りを小さめの塔4基が取り囲む形だ。いずれも真っ白に塗られており、名前の通り仏舎利が祀られている。真ん中のメインプラーンは修復中なのか、足場が組まれており、完全な姿が見られず、残念だった。(2007年8月)
本堂全景 破風のレリーフが美しい クリックで拡大 本堂全景 破風のレリーフが美しい
 本堂 
  建物正面の破風は、ラッタナコーシン朝初期のレリーフが飾られている。ワニのような動物が2匹向かい合って口をあけているが、これは「ヘーラー」とよばれる、ワニと竜のあいのこだそうだ。仏像の基壇のレリーフなども見事だ。本堂のまわりにある「バイ・セーマー」(結界を示す石板)も時代を感じさせる。
 礼拝堂 
壁画「極楽」 川辺の生活 クリックで拡大
壁画「極楽」 川辺の生活
壁画「悪魔の来襲」 クリックで拡大 壁画「悪魔の来襲」
  正面の破風には、ガルーダ(タイ語でクルット)に乗ったヴィシュヌ神(タイ語でナーラーイ神)のレリーフがある。アユタヤ朝期のものとされるが、19世紀前半に修復されている。内部は、縦に並んだ大中小3体の仏像が祀られている。注目すべきは、一面に描かれた壁画である。1920年代前半に、ペッブリーを代表する名人がアユタヤ朝時代の様式で描いたものという。仏像の背後には、極楽の様子が描かれるが、当時の暮らしぶりなども描かれていて興味深い。その向かい側、仏像が見つめる壁面には、ワット=コケーオにあったものと同様の、仏陀の成道を邪魔する「悪魔の来襲」が描かれていた。
5基の白いプラーン クリックで拡大 5基の白いプラーン
大あくびをするネコ クリックで拡大 ネコが寝ていた。つつくとこちらをにらみ、大あくびをしてまた寝た。
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(1)仏像の基壇のレリーフ
(2)古いバイ・セーマー
礼拝堂の本尊 壁画にも注目 クリックで拡大 礼拝堂の本尊 壁画にも注目
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◇ワット=サブア(Sa Bua) วัดสระบัว
ワット=サブア アユタヤ時代の本堂と仏塔 クリックで拡大 アユタヤ時代の本堂と仏塔
  カオワン丘の近くにある寺院。山門脇の門柱上にウサギがちょこんと座っている。また、壁には1972年に現国王がいらしたときの写真が誇らしげに掲げられていた。このときの写真は境内各所に飾られていた。
  入口右手に、アユタヤ朝時代後期の本堂と仏塔がある。本堂は横から見ると、屋根が弓なりに反っており、バランスよく整った形だ。その前にはプラーン型の仏塔が立つが、長い年月を経てやや傾いているように見える。
本堂正面 クリックで拡大 本堂正面
弓なりに反り返る本堂 クリックで拡大 弓なりに反り返る本堂
  本堂のまわりには、やはりアユタヤ時代のバイ・セーマーがあるが、夜叉(タイ語でヤック)と人間が支えている。このデザインは、バンコクのワット=アルンの仏塔を思い出させる。
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(1)ウサギが迎える寺院
(2)本堂の近影
(3)国王来訪の写真
夜叉と人が支えるバイ・セーマー クリックで拡大
夜叉が支えるバイ・セーマー
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◇カオルアン洞窟 ถ้ำเขาหลวง
カオルアン洞窟(第2窟) クリックで拡大 カオルアン洞窟(第2窟)
  町の北約3kmの小高い丘の中腹にある洞窟(鍾乳洞)で、タイでもっとも有名な洞窟の1つである。19世紀半ば、フランス人自然科学者・アンリ=ムオー (Henri Mouhot 1826-1861、アンコール=ワットを広くヨーロッパに紹介したことで有名)がここを訪れ、著書の中で洞窟の様子を挿絵入りで紹介したことで、海外にも知られることとなった。
  内部には、多くの仏像が安置され、小さな仏塔まであるが、ほとんどは、市内のワット=プラッププラーチャイ(Phlapphlaa Chai)の住職であったルアンポー・リット師(仏暦2378-2462、西暦1835/6-1919/20)の手になるものである。また、大きな涅槃仏(長さ6m)や座仏などは、ラーマ5世王(在位1868-1910)のお考えで祀られるようになった。
(1)公園入口の看板 クリックで拡大 (1)公園入口の看板
(2)丘の中腹が入口 クリックで拡大 (2)丘の中腹が入口
(3)ここもサルが多い クリックで拡大 (3)ここもサルが多い
(4)洞窟へ下りる クリックで拡大
(4)洞窟へ下りる
 洞窟への入口 
  広い駐車場でソンテウを下りた。しかし車はほとんどなく、売店も閉まっている。カオワンと同じように週末は混むのだろうか?現国王在位60年を記念する白い建物を右手に、入口をめざして階段を上る。[写真(2)] ここもサルが多く、人間が近づいても逃げない。[写真(3)] 階段を少し上ると、すぐ入口になり、今度は階段を下りる。[写真(4)] 遊歩道や階段などは整備されているので、歩きやすい。
(5)第1窟 クリックで拡大 (5)第1窟
(6)左の屋根の下は仏足石 クリックで拡大 (6)左の屋根の下は仏足石
 第1窟 
  階段を下りたところの狭い部分が第1窟である。入口からの光が届くので明るい。[写真(5)] 仏像数体と仏足石が祀られていた。[写真(6)]
(7)大きな第2窟 クリックで拡大 (7)大きな第2窟
(8)サルも拝んでいる クリックで拡大 (8)サルも拝んでいる
 第2窟 
  一番大きな部屋。天井の隙間から光が差込み、神秘的な雰囲気がある。左手奥に大きな座仏と礼拝所があり、花・ろうそく・線香のお参りセットやお土産品をメーチーが売っている。[写真(7)]  洞窟の縁に沿って小さな仏像が何体も並ぶ。[写真(8)]
(9)涅槃仏 クリックで拡大 (9)涅槃仏
(10)どうして赤青なのか? クリックで拡大 (10)どうして赤青なのか?
 第3窟 
  大きな寝仏を右手に見て、第3窟に入る。[写真(9)] 入口の仏像はなぜか、赤青の蛍光灯に照らされ、キッチュな感じだ。[写真(10)] 一番奥には祭壇があった。暗闇には首が取れた仏像もあり、少し気味が悪い。
 行き方   ペッブリーの町からソンテウかモーサイで。カオワン付近からなら10分かからない。30B。(2007年8月)
 チャン洞窟 
  駐車場から町へ戻ろうとしたとき、右手に看板を見つけた。「スントンプーの足跡  チャン洞窟  200m」とあるので行ってみた。[写真(11)] 蛇が出そうな藪の中のぬかるみ道を行く。要所には案内板があるので道に迷うことはない。5分ほどで着いた。何と言うことはない洞窟で、天井には大きな円形の穴がぽっかり開いていた。[写真(12)]
(11)チャン洞窟の案内看板 クリックで拡大 (11)チャン洞窟の案内看板
(12)チャン洞窟 クリックで拡大 (12)チャン洞窟
「チャン」とは、スントンプーの最初の妻の名前だが、こことどんなゆかりがあるのだろうか?
スントンプー
1786~1855年。タイの「詩聖」と称される詩人。ラーマ2世王やプラピンクラオ殿下(ラーマ4世の副王)に仕え、多くの作品を残している。酒好きで、酒ゆえの失敗も多いが、酒を飲むと次々と詩を吟じたと伝えられる。
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