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古寺と西洋式宮殿が溶けこむ町
ペッブリーเพชรบุรี
カオワンから見たペッブリーの町 Click to enlarge カオワンから見たペッブリーの町
  バンコクから南西へ、タイ湾に沿って130kmあまり、バスだと2時間少しで、緑濃い平野に小高い丘が点在するペッブリーに到着する。ドヴァーラヴァティー以来約1000年の歴史を持つ古都で、とくにアユタヤ時代(14-18世紀)には、対ビルマ戦争の前線として、また豊かな食料生産地として、たいへん重要な地位を占め、文化も発達した。今も町中に点在する多くの寺院や、そこに残る絵画やレリーフなどが往時の繁栄を物語る。
  近代に入っても、とくにラーマ4世王・5世王はこの町を気に入られ、西洋式宮殿を建てられた。ここを訪れると、西欧化を急ぐ当時のシャム王国の息吹を感じとることができる。郊外にある有名なカオルアン洞窟も一見の価値がある。
 
camera   見どころ
GO2つの宮殿
プラナコーンキーリー歴史公園 Click to enlarge プラナコーンキーリー歴史公園
  街の西側に立つ小高い丘・カオワン(宮殿の丘)は、この町のシンボルとなっている。丘の上には、ラーマ4世王の宮殿や寺院が立ち並ぶ。また、町の南の陸軍基地内にはラーマ5世王の宮殿がある。
►カオワン(プラナコーンキーリー歴史公園)
►バーンプーン宮殿
GOアユタヤー時代の寺院とカオルアン洞窟
ワット=カムペーンレーン 12-13世紀のプラーン Click to enlarge ワット=カムペーンレーン
12-13世紀のプラーン
  クメール帝国時代から栄えているこの町には古寺が多く、とくにアユタヤー朝時代の建物がいくつか残っている。町の北には、タイでもっとも有名な洞窟の1つ、カオルアン洞窟がある。
►ワット=ヤイスワンナーラーム
►ワット=カムペーンレーン
►ワット=パイロム
►ワット=コケーオ
►ワット=マハータート
►ワット=サブア
►カオルアン洞窟
 
地図  
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pencil   来 歴 footfoot  行き方
鉄道・・・・南本線でペッブリー駅下車。バンコクから2.5-3時間。バンコクはフアラムポーン駅発の他、トンブリー駅発の列車もある。タイ国鉄HP(英・タイ語)→here
 
バス・・・・バンコク南バスターミナル(サーイタイ)から2時間。ラートブリーから1時間。
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古代・・・・ドヴァーラヴァティー時代(7-11世紀)から集落があったことがわかっている。
クメール帝国の時代(12-14世紀)
ペッブリー川の東岸に、1km四方の城市があったことがわかっている。濠をめぐらしていたが、西方はペッブリー川を濠として利用していた。その時代の遺跡が、ワット=カムペーンレーンである。
スコータイ朝時代(1240年ころ-1438年)
碑文にペッブリーの名前が登場。ラームカムヘーン大王の時代(1279-98年)にスコータイの権力が及んできたが、ペッブリーは独立を保ち、中国へ使者を送っている。当時のペッブリーの王家は、アユタヤー朝を建てたウートーン王の時まで存続。
アユタヤ朝時代(1351-1767年)
ボーロマトライローカナート王(1448-88年)のころ、アユタヤーの支配が強まる。
マハータンマラーチャー王(1569-90年)のとき、カンボジアが攻め込む。一旦は撃退したが、結局占領された。その後、ナレースワン大王(1590-1605年)がカンボジアを打ち破り、その支配から脱却した。ナレースワンはビルマを撃退するまで、5年間ペッブリーに滞在。
チェーターティラート王(1628-29年)からアユタヤー朝最後のエーカタット王(1758-67年)の時代まで、ペッブリーは太守と住民が協力して何度もビルマと戦う。しかし結局、ビルマがアユタヤーを占領、ペッブリーも占領された。
トンブリー朝(1768-82年)・ラッタナーコーシン朝時代(1782年-)
タイが独立を回復した後も、ペッブリーはビルマとの最前線に立たされていた。しかしイギリスがビルマを支配し、その脅威が無くなると、ペッブリーの役割も変わっていった。
(この項目は、ペッブリー県HPを参考にしてまとめた)

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