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スコータイの北の要
シーサッチャナーライ ศรีสัชนาลัย
Wat Chedijetthaeo Click to enlarge
ワット=チェディーチェットテーオ
  スコータイから北へ約56㎞、スコータイ時代は歴代の副王が統治していた古都のあと。東のヨム川の屈曲部と、西の小高い丘に挟まれた地域を中心に、約45平方kmが歴史公園として整備されている。1991年にはユネスコの世界遺産にも登録された。
  日本で「すんころく」として知られた焼き物の生産地でもあり、多くの窯跡も残る。スコータイほど観光客はいないので、古都のしっとりした雰囲気が味わえる。
 
  シーサッチャナーライ歴史公園略図
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Map of Sisatchanalai Ruins Wat KudiRai Payang Kilns Konoi Kilns Research center Wat PhraSiratanaMahathat Wat Chomchun Wat Jaojan Wat Khoksingkharam Wat NangPhaya Wat SuankaeothayanNoi Wat SuankaeothayanYai Wat ChediJetThaeo Wat ChangLom Wat Khaophnom Wat Khaosuankhiri
camera   シーサッチャナーライ歴史公園の見どころ
GO城壁内
Wat NangPhaya, click to enlarge 礼拝堂の壁に残るレリーフ
ワット=ナーンパヤー
  スコータイより一回り小さい城壁と堀に囲まれ、たくさんの寺院が並んでいる。
►ワット=ナーンパヤー   ►ワット=スワンケーオウタヤーンノイ   ►ワット=スワンケーオウタヤーンヤイ   ►ワット=チェディーチェットテーオ   ►ワット=チャーンローム   ►ワット=カオパノムプルーン   ►ワット=カオスワンキーリー
 
GOチャリエン地区(城壁外東部)
Wat PhraSiratanaMahathat, click to enlarge 美しい遊行仏 ワット=プラシーラッタナマハータート
  城壁から東へ約2km、ちょうどヨム川が大きく蛇行する辺りは、スコータイが独立する以前にクメール人の支配の中心地だった。クメール式の寺院がいくつか残っている。
►ワット=プラシーラッタナマハータート   ►ワット=チョムチューン  
►ワット=チャオチャン   ►ワット=コークシンカーラーム
 
GO焼き物地区(城壁外北部)
Konoi Kiln, click to enlarge 約10mもの大きさがある コノーイ窯
  城壁の北西部は焼き物の生産地でもあり、多くの窯跡が今も残る。アユタヤ時代この街はサワンカロークとよばれた(現在この名前の街はここから11km南にある)ため、この焼き物は日本では「すんころく」として珍重された。
►ワット=クディーラーイ   ►パーヤーン窯   ►コノーイ窯
►サンカローク焼研究保存センター
 
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info 旅のヒント(2001年情報)
◆歴史公園への行き方
新市街からかなり南にある。スコータイから来る時には、新市街の手前で降りる。詳細は下の「行き方」を参照。
 
◆歴史公園の入場
毎日:00-:00
入場料 B
 
◆歴史公園のまわり方
(1)自転車・・・スコータイから来たバスを降りた辺りで借りる。1日30B程度。チャリエン地区から焼き物地区まで、かなり距離はあるが、自転車ならまわれる。暑さ対策や水の用意が重要。
(2)徒歩・・・城壁内の主なところならOK。
(3)車のチャーター・・・スコータイからチャーターすれば、効率がよい。ホテルやGHに問い合わせ。
(4)城壁内をまわるトラムもあり。
 
◆宿泊
歴史公園付近にはないようだ。10kmほど離れたスワンカロークの町か、スコータイに泊まる
 
up
pencil   来 歴 footfoot  行き方
スコータイから日帰りするのがふつう。スコータイへの行き方は、
こちら→
 
スコータイからのバス・・・スコータイ郊外のバスターミナルから、1時間あまりから1時間半程度。シーサッチャナーライ行きでなくても、国道101号線を通るバス(ウッタラディット行きなど)なら行ける。歴史公園で降ろしてもらえるように車掌に頼んでおいた方がよい。おそらくチャリエンへの入口の、床屋と貸し自転車屋の前で下ろしてくれるはず。ちなみにそこの地名は「バーンパークルアイ(Baan Pa Kluai)」บ้านป่ากล้วย
スコータイへの帰りのバスは、午後4時過ぎが最後だった。現地で必ず確認すること。
 
バンコクからのバス・・・北バスターミナル(モーチットマイorモーチット2)から直行バスもある。6-7時間。 up
古代
  3世紀には、ワット=チョムチューンの遺跡などから、すでに集落があったことが判明した。
スコータイ王国成立前
  12世紀、ドヴァーラヴァティーの勢力が及び、ロップブリー時代の文化の影響がワット=シーラッタナマハータートに見られる。その頃、その辺りはチャリエンเชลียงと呼ばれていた。後に、北に約1.5km行った所にシーサッチャナーライが築かれ、スコータイとともにヨム川流域の重要な都市となり。「シーサッチャナーライ=スコータイ」と並び称されていた。そして、ポークン=シーナーウトムพ่อขุนศรีนาวนำถมがその両国を治める王になった。
名前の由来・・・・「北部年代記」によると、サッチャナーライ仙人がラーチャ法師に、カオパノムプルーンを火を祀る場所として、その周りに新しく町をつくるよう指示した、という。
スコータイ王国
  1238年、スコータイ王国建設後、シーサッチャナーライはスコータイの従属的な都市となった。建国者シーインタラティットพ่อขุนศรีอินทราทิตย์ は、バーンムアンพ่อขุนบาลเมือง(のちの2代王)をシーサッチャナーライの統治者とした。以後、歴代の副王が統治者となり、3代王ラームカムヘーンพ่อขุนรามคำแหงも、6代王リタイพระยาลิไทも、王位に就く前はここを統治していた。
スコータイ王国の歴史GO
アユタヤー時代(1351-1767年)
  年代記には、シーサッチャナーライの名前は登場せず、かわりにチャリエンの名が見られる。初期には、陶器の生産地として重要な地位にあり、アユタヤーへ運ばれていた。1438年、スコータイの王統が途絶えると、アユタヤーから官僚が送りこまれ統治した。
  その後改名され、1556年には、サワンカロークสวรรคโลกとして知られていた。アユタヤーとラーンナー、ビルマ間の戦争の際、軍勢の通路にあたったので、住民が逃げ出して町が荒廃したり、時にはアユタヤーから自立しようとすることもあった。たとえばナレースワン大王(1590-1605年)の時代には、アユタヤーに対する反乱を起こしたが、大王に制圧され住民はピッサヌロークに移され、町は荒れ果てたという。
ラッタナコーシン朝時代(1782年-)
  1767年、アユタヤーがビルマの攻撃によって陥落すると、サワンカロークも打ち棄てられたが、その後、ラーマ1世王の時代、今のサワンカロークに移って再建された。一方、ハートシアンの町にシーサッチャナーライの名前がつけられ、今にいたっている。
  仏暦2533(西暦1990)年5月17日、シリントーン王女殿下を迎え、歴史公園が正式に開園。仏暦2534(西暦1991)年、スコータイ・シーサッチャナーライ・カムペーンペットの各歴史公園がユネスコの世界遺産に指定された。

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