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      スコータイの歴史  このページの内容 
◇12世紀 ◇13世紀 
◇14世紀 ◇15世紀
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スコータイ遺跡公園(4ページ)
旅日記から(01年7月)(4ページ)
王名のあとの(  )内は在位年代を示す。年代には諸説あるものもある。
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時代
王名
できごと
他のアジア諸国
12世紀 [アンコール王朝]
ジャヤヴァルマン7世
(1181~1220年頃)
………
◆クメール帝国の支配下
スコータイはクメール帝国(アンコール王朝)の版図に含まれ、クメール人の太守が治める要地であった。当時の中心は、城壁北部のワット=プラパーイルアン。
12世紀末 ジャヤヴァルマン7世、アンコール=トムを造営
1192 鎌倉幕府成立
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[初代]
シーインタラーティット
พ่อขุนศรีอินทราทิตย์
(1240頃~70頃)
◆クメール帝国から独立し、スコータイ朝成立
1240年頃 クメール帝国衰退に乗じて、タイ族の有力者であったラート国 เมืองราด (ウッタラディット?)主パームアン พ่อขุนผาเมือง が、同じタイ族のバーンヤーン国(スコータイ近郊)主バーンクラーンハーオ ขุนบางกลางหาว とともに挙兵し、クメール人太守を追放してタイ族の独立を達成。バーンクラーンハーオは、シーインタラーティット王として即位、スコータイ朝を開く。
1206 チンギス=ハン、モンゴル帝国建国
1206 インド、イスラーム王朝のデリー=スルタン朝成立

1225 大越国(陳朝)成立

1262 チェンセーンのマンラーイ王、チェンラーイ建都
1271 フビライ=ハン、国名を「元」と改める
1274 元寇(文永の役、1281弘安の役)
1279 元が南宋を滅ぼし、中国全土を支配

1287 ビルマのバガン朝、元に服属

1292 マンラーイ王、新都チェンマイを建設 up
[2代] バーンムアン
พ่อขุนบาลเมือง
(1270頃~79)
 
[3代]
ラームカムヘーン
พ่อขุนรามคำแหง
(1279~98)
◆広大な領域を支配、スコータイ朝の最盛期を現出
北方のルアンプラバンやウィエンチャンから、南方のナコーンシータンマラートまでを服属させた。
1287年 元の南下に備え、同じタイ族の、チェンラーイのマンラーイ王(1292年チェンマイを開都する)、パヤオのガムムアン王と同盟を結ぶ。
1292年 初めてタイ文字が記されたラームカムヘーン王碑文ができる。この碑文によると
・タイ文字は王自身が考案した
・「水に魚あり、田に稲あり」。王国は栄えた。
・困りごとのある者は王宮の入口につるされた鐘を鳴らすと、王自身がその者の相談に乗り、訴訟も公平に裁いた
・南部のナコーンシータンマラートから高僧を招き、上座部仏教を盛んにした
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[4代] ルータイ
(1298~1346)
◆仏教の拡大に努めるが、版図は縮小。
1338 室町幕府成立
1368 元にかわり、明建国
1392 高麗にかわり、朝鮮成立
1397 足利義満、金閣造営開始
[5代] グアナムトム
(1346~47)
 
[6代]
リタイ(マハータンマラーチャー1世)
มหาธรรมราชาที่ 1 (พระยาลิไท)
(1347~69?)
◆領土回復、仏教に厚く帰依。
ピッサヌロークやナコーンサワンを再度支配下に置く。仏教に帰依し、一時出家。
1362年 アユタヤーやルアンプラバンの攻撃に備えて、ピッサヌロークへ遷都。ワット=プラシーラッタナマハタートを建立し、有名なチンナラート仏を鋳造。
[7代]
マハータンマラーチャー2世
(1369?~98?)
1378年 アユタヤー朝のボーロマラーチャー1世王がナコーンサワン、ピッサヌローク、カムペーンペットを占領。スコータイは降伏、アユタヤーの属国となる。
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[8代]
マハータンマラーチャー3世(サイルータイ)
(1398~1419)
1400年 アユタヤーからナコーンサワンを奪還。
1412年 再びアユタヤーに服属。
1404 日明貿易開始
1405 明の鄭和、南海遠征開始
1429 中山王尚巴志、琉球王国を建国
1431 アユタヤー朝、アンコールを占領 
[9代]
マハータンマラーチャー4世
(1419~38)
◆スコータイ朝、アユタヤー朝に吸収され消滅
1438年 王が亡くなり後継者が絶える。アユタヤー王チャオサームプラヤーとマハータンマラーチャー3世の王女との間に生まれたラーメースワン王子(のちのトライローカナート王)がピッサヌロークの統治者となる。これにより、スコータイ朝は消滅、アユタヤー王国の一地方となる。
アユタヤー朝の歴史→here
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※このページの記述は、『タイの事典』(同朋舎 1993年)を参考にしました。 リンクバー HOME ChaophrayaTOP SukhothaiTOP