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イーサーン南部のクメール遺跡(2)
 パノムルン ปราสาทหินพนมรุ้ง
 このページの内容 
◇パノムルンの建設
◇「再発見」と修復
◇パノムルンの見どころ
◇パノムルンへの行き方
 関連ページへのリンク 
◆見どころ
 カオプラウィハーン
 パノムルン
 ムアンタム
 その他の遺跡(作成予定)
旅日記から・・・・ウィエンチャン→ルアンパバーン '99.12(3ページ)
PhanomRung, click to enlarge 米国から取り返した「横たわるナーラーイ神」
  標高383mの死火山の山頂に立つパノムルンは、10-13世紀にかけて建設された壮大なクメール寺院だ。タイに残るクメール遺跡で最大かつ最もすばらしいものといわれる。パノムルンとはカンボジア語で「大きな丘」を意味し、コーラート平原の中にあっては400m足らずの丘でもよく目立つ。整った主祠堂や、有名なリンテル「横たわるナーラーイ神」などが見どころだ。

◇パノムルンの建設 
Cliff where PhanomRung stands, click to enlarge パノムルンが立つ山の頂上から
神聖な場所
  東南アジアの人々は昔から山、川、森などの精霊を信仰してきた。パノムルンの山は標高383mとさほど高いわけではないが、平原が広がるこの地にあってはとても目立つうえに、山頂の噴火口あとには池もあることから、地元の人たちにとってたいへん神聖な場所とされてきたと考えられる。そしてクメール人たちは、この神聖な山を須弥山(しゅみせん、スメール山。インド的世界観で世界の中心にそびえるという山)になぞらえてシヴァ神を祀るようになった。
創建(10世紀)
  カンボジア・アンコール朝の王ラージェンドラヴァルマン Rajendravarman (在位944–968年)が、パノムルン山にシヴァ神に捧げる祠堂をつくったのが始まりであると考えられている。最初はさほど大きくはなかったが、息子のジャヤヴァルマン5世 Jayavarman V (在位968–1001年)が新たに土地と奴婢を献上した。
神殿の建設(12-13世紀)
  この地の領主であったナレーントラティット นเรนทราทิตย์(アンコールワットの建設者・スールヤヴァルマン2世を輩出したマヒーダラプラ家の始祖)が12世紀、この地に神殿を建て、シヴァリンガを祀った。碑文によると彼は死後自分の像もここに祀ろうとしたらしい。信仰に篤く、ついには出家をして亡くなるまでここで修行をした、と伝えられる。死後、息子は父ナレーントラティットの黄金の像をつくらせたという。
  ジャヤヴァルマン7世 Jayavarman VII (在位1181-1218)が最後の建設者となった。王は主祠堂南東に経堂、参道北側に白象館を建てたほか、周辺にクティルーシー(施療院)2か所、宿駅1か所を建てた。
  なおこのような神殿の建設は、大きな町の建設をともなった。土地や物品、奉仕者(奴婢)が寺院に献上されるため、寺院を中心に町ができる。つまり町造りも寺院建設の目的の1つであった。このパノムルンの町はかなり大きな規模であったと推測される。ため池(クメール語で「バライ」)は境内に1つ あるほか、山の周辺に2つつくられている。上述の通り施療院も周辺に2か所あった。
ラージェンドラヴァルマン
  敬愛する ヤショヴァルマン1世の王国の再建と強大化をめざし、王都をコーケーからアンコールの地に戻して東メボン寺院とプレ・ループ寺院を建立した。
ジャヤヴァルマン5世
  ラージェンドラヴァルマンの息子。タ・ケウ寺院を建設した。
マヒーダラプラ家
  現在の東北タイのピマーイ地方を拠点としていた、と推測されている。この王家出身のジャヤヴァルマン6世(在位1080-1107年)がクメール王となった。その2代あとがスールヤヴァルマン2世である。
スールヤヴァルマン2世
  アンコール=ワットを築いたアンコール朝全盛期の王。チャムパー、ヴェトナムへ遠征、チャオプラヤーが上流域からマレー半島北部までを支配した。
ジャヤヴァルマン7世
  仏教徒。混乱した国内を統一し、ムアンシン、スコータイ、チャムパーなどを支配する大帝国となる。宗教都市アンコール=トムほか、数多くの寺院を造営した。幹線道路網を整備し、121か所の宿駅、102か所の施療院を建設した。
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◇「再発見」と修復
  クメール帝国の衰退後、地元の人たちの間では、神話に登場する神殿と言い伝えられてきたが、一般には知られていなかった。パノムルンを再度世に紹介したのは、フランス人考古学者・エティエンヌ=エモニエル Étienne Aymonier (1844-1929年)であった。彼は1885年にパノムルンを訪れ、1902年にその記録を公刊した。1935年にはタイの国定遺跡に指定されている。
  1971年、アナスティローシス(崩れてばらばらになった部材を組み立てるという方法)による 復元が始まり、1988年5月21日、シリントーン王女を迎えてパノムルン国立歴史公園がオープンした。
  なお、主祀堂正面のリンテルに刻まれている「横たわるナーラーイ神(ヴィシュヌ神)」のレリーフ(すでに2つの部分に割れていた)は、修復前の1961-65年の間に何者かに盗まれた。小さい方の部分は1965年、バンコク市内の骨董品店 Capital Antiqueで見つかったが、大きい方はようやく1972年に米国シカゴの美術館で見つかった。米国側は返還を渋ったが、タイの国民的返還運動の結果、ついに1988年タイへ返還され、同年12月7日、パノムルンの元の場所へ戻った。
行き方
(1)ブリーラムからスリン行きのバスに乗り、バーン・タコーの町まで行く。そこからバイクタクシーかソーンテーウをチャーターする。約8km
(2)ブリーラムからナーンローンの町へ。そこからバイクタクシーかソーンテーウをチャーター。約20km。ナーンローンにはホテルもあるので、他の遺跡も含めて余裕をもってまわれる。
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◇パノムルンの見どころ
PhanomRung, click to enlarge ナーガの橋(第1)と参道
参道
  入口の階段を登ると、ラテライトで舗装された長い参道に出る。正面に寺院のそびえ立つ姿が見え、壮観だ。寺院全体に、タイ-カンボジア国境のドンラック山脈から運んできたピンク色と白色の砂岩が使われているので、全体的には薄く赤みがかった色に見える。
  参道は長さ約160m、幅は9.2mという。参道の両脇には、蓮の花のつぼみをモチーフにした高さ1.6mの石柱が68基並んでいて、神殿へ導いてくれる。このように石柱が並ぶ参道は、クメール寺院では一般的で、たとえば、カオプラウィハーンやラオス南部のワット=プーでも見られた。
国王休息所 Phlap Phla พลับพลา (白象館โรงช้างเผือก
  参道の北側にある建物で、参道側を除く三方を回廊が囲んでいる。かつて国王らは、威厳を示すため、あるいは参拝や儀式のためにここで衣服を整えたと考えられている。なお白象館という呼び方は、神殿を古代の王宮と考えた人が、王宮には当然馬や象の小屋があり、これほどの王宮を建てた王ならば尊い白象を飼っていたに違いない、と想像したことから生じた誤解に基づく名前である。
ナーガの橋(第1)
  参道が終わると、ナーガ(竜王)に守られた橋(テラス)に出る。周囲より1.5mほど高く、幅20m、奥行き8.2mの十字型で、頭を5つ持つナーガが鎌首を持ち上げ、東西南北の四方を守っている。これもクメール寺院には普通にあるもので、人間界と神々の住む天上界を結ぶという意味がある。ヒンドゥー神話では虹がその役割を果たすというが、虹はしばしばヘビになぞらえる。
  なおこの橋の中央には、何本かの細い線で8弁の花びらを持つ蓮の花が描かれ、何らかの護符のように見える。ヒンドゥー教の八方神を示しているという説や、参拝者に儀式や祈りの場所を示しているという説などがある。
PhanomRung, click to enlarge 祠堂への入口
祠堂への入口
  そこから急な階段(5層、全部で52段)を登る。両側には大きめの石柱が並び、中央に縦穴があいている。そこには儀式の時に旗か提灯を立てたと考えられている。階段を登り詰めると、回廊の正面テラスに出る。テラスの四隅に一辺5mの正方形の池がある。沐浴に使ったのだろうか。
  テラスの正面には、再度ナーガの橋(第2)がある。第1よりかなり小さい(幅12.4m、奥行き5.2m)が、中央部には同じように8弁の蓮の花の模様が描かれている。
PhanomRung, click to enlarge 回廊正面の破風とリンテル
ここをくぐって主祠堂にいたる
  ここを越え、回廊の東側の楼門をくぐる。回廊は東西の幅59m、南北の奥行き68mで、屋根はかまぼこ形で、頂部には蓮のつぼみを模した突起が並んでいる。回廊の内部は、いよいよ祠堂が並ぶ寺院の心臓部になる。
主祠堂
  東向きの主祠堂は、12世紀の建築だと推定されている。高さ27mのプラーン(塔堂)が乗っている本体と、その前面(東側)に付属しているモンドップの、2つの部分からなっている。このモンドップの正面(つまり、回廊をくぐって最初に見える場所)に注目してほしい。リンテルには、米国から取り戻したことで有名な「横たわるナーラーイ神(ヴィシュヌ神)」が刻まれている。大蛇シェーシャの上でナーラーイ神が気持ちよさそうに寝ている。(米国から返還のいきさつは→こちら。)そのすぐ上の破風には躍動的な「踊るシヴァ神(ナタラージャ)」がある。これ以外にも随所に優美なレリーフが残されていて、飽きさせない。
  主祀堂の中は、シヴァ神を表すリンガと、シヴァ神の乗り物である聖牛ナンディンが安置されていた。
小プラーン  Plang Noi ปรางค์น้อย
  主祠堂の南西に建つ、6m四方の小さなプラーン。上部は崩れ、高さは5mほどしかない。主祠堂より古く、11世紀ころの建物と考えられている。中には祭壇があり、主祠堂とは別の神々が祀られていたらしい。なお崩れた上部は、寺院の他の場所の建築に使われているが、そういうことは普通にあるらしい。
レンガ祠堂2基  Plasat It ปราสาทอิฐ 2 องค์
  主祠堂の北側に、基壇と柱のみが残る建物跡がある。レンガ製で、1つは南向き、もう1つは東向きで、大きさはそれぞれ5mx5mである。10世紀ころの建物で、ここで最古のものとされる。
経蔵  Bannalai บรรณาลัย
  ラテライト製の建物で、屋根は回廊と同じかまぼこ形である。11.6x7.1mの大きさで、中には神像や祭壇がなく、経蔵として使われていたとされる。

  主祠堂を反対側へ抜け、さらに回廊を抜けると、木々に囲まれた広場になっている。さらに進むと丘の端に出る。ここから乾季で茶色く枯れた畑の中に点々と木々が生えているコラート平原の様子がよく見てとれる。南方にやや霞んで見える山並みがドンラック山脈で、その向こうはカンボジアである。
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このページの記述は、以下のサイト、書物を参考にしました。
新版「東南アジアを知る事典」平凡社、"นำเที่ยว ๗ ปราสาทหินแห่งอีสานใต้ " สำนักพิม เมืองโบราณ (タイ語)、「壮大なる宇宙世界への賛歌 -アンコール・ワット小史-」石澤良昭 (http://angkorvat.jp/doc/vat/angkorvat.pdf)、 ブリーラム県HPのパノムルンのページ(http://www.buriram.go.th/tr_phanomrung/menu.htm,タイ語) 、www.kapook.com(タイ語)、Tourism of Cambodia (www.tourismcambodia.com,英語)、Wikipedia(英語、タイ語)

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