titlelinkbar HOME MekongTOP Luang PabangTOP
メコン河岸にたたずむラーンサーン王国の古都
ルアンパバーン
Alms giving ceremony at LuangPhabang, click to enlarge 朝の托鉢
托鉢の詳細は→こちら
 1353年、ファーグム王がこの地(シエントーン)を都にラーンサーン王国を築いた。これが現在に至るラオスの始まりとされる。以来、16世紀半ばからの約150年間をのぞいて、1975年の革命による王政廃止まで一貫して王都であった。そんな由緒ある歴史に加えて、山々に囲まれ、メコン川とナムカーン川の合流点に位置するという自然条件が、この小都市をしっとりと落ち着いた雰囲気にしている。1995年には町全体がUNESCOの世界遺産に登録され、観光客も急増している。
 
camera   見どころ
GO町の東部(旧王宮・プーシーの丘周辺)
 The Eastern Side of City (Around Palace & Phusi)
PhuSi., enlarge to click メコン川から見るプーシーの丘
ルアンパバーンに着いたことが分かる
 一日中人通りが多い郵便局とプーシーホテルの交差点から東へ行くと、見どころが次々と現れ、ホテル、ゲストハウスや食堂も多く、観光客が最も目につく地区である。プーシーの丘は登るのに少し疲れるが、頂上からの眺めはすばらしい。
►ワット=マイ    ►王宮博物館(旧王宮)
►パバーン仏の来歴    ►プーシーの丘
GO町の東部(ワット=シエントーン周辺)
 The Eastern Side of City (Around Wat XiangThong)
Sakkarin St., enlarge to click サッカリン通りの昼下がり
 さらに通りを東へ行くと、寺院がならぶ静かな地域になる。終点にあるのがこの町を代表する寺院・ワット=シエントーン。メコンを見ながらゆっくり歩きたい場所だ。
►ワット=シエントーン近くの寺院群
►ワット=シエントーン
GOそれ以外の町のみどころ Other Sights within City
Sun set of the Makong, click to enlarge メコンを染めて日が沈む
  ルアンパバーンの見どころは町の東側に集まっているが、それ以外の見どころをまとめてみた。いずれも観光客はまばらで、ルアンパバーン本来の雰囲気がうかがえる。メコン川や托鉢の光景も必見だ。
►ワット=ウィスンナラート(タート=マークモー)
►ワット=アーハーム    ►ワット=タートルアン
►メコン川の風景  ►托鉢
GO郊外のみどころ Outskirts
Pak Ou Caves, enlarge to click パークウー洞窟
 ルアンパバーンの郊外にも見どころは点在している。公共交通機関はないので、トゥクトゥク(ソンテウ)かボートをチャーターするか、GHや旅行会社のツアーに参加して行く。
►パークウー洞窟
►クアンシーの滝
地図  
camera   来歴
1.起源
  神話によれば、天界から下されたクンブロムの息子、クンローがムアンサワー(今のルアンパバーン)に至り、先住民のクンサワー一族を従えて王としてこの地を支配したという。メコンにナムカーン川が合流するこの地は、河川交通と陸上交通の要衝として、古くから町があったことを示している。
2.ラーンサーン王国の都
・建国  クンローの末裔であるムアンサワーの王・ファーグムが、1353年、近隣諸国を従えてラーンサーン王国を樹立。その際、王がかつて留学していたカンボディア(アンコール朝)の軍事力を利用したこと、王妃がカンボディア出身であったこともあって、同国から高僧とパバーン仏を招来し、上座仏教を導入した。以後、シエントーン(黄金の町)とよばれ、ラーンサーン王国の都として繁栄した。
・最盛期  16世紀、ウィスンナラート(在位1501-20年。パバーン仏をまつるためワット=ウィスンナラートを建立)、ポーティーサーララート(在位1520-47年)、セーターティラート(在位1548-71年。ワット=シエントーンを建立)の3代の王の時代が最盛期で、仏教文化が栄えた。
・ウィエンチャンへの遷都  1560年、セーターティラート王が実施。しかしパバーン仏はこの地に残されたので、ルアンパバーン(パバーン仏の都)と呼ばれるようになった。
  その後、一時的なビルマ・タウングー朝の支配を経て、17世紀には海外貿易を推進したスリニャウォンサー王(在位1638-95)のもと、ラーンサーン王国は「黄金時代」を迎えた。
3.ラーンサーン王国の分裂とルアンパバーン王国
  同王の死後、後継者争いが勃発した。ルアンパバーンのキンキッサラートが、シプソンパンナー王国の援軍を受けて、王都ウィエンチャンを攻撃。そこでウィエンチャンはタイのアユタヤーに援軍を要請し、結局その仲介によって、1707年ラーンサーン王国はウィエンチャン王国とルアンパバーン王国とに分裂し、さらに南部にはチャムパーサック王国が成立した。タイはこの3王国の対立につけ込み、18世紀後半にその属国となった。
  19世紀後半、インドシナ半島の侵略を始めたフランスは、1893年のフランス=シャム条約でこの地におけるタイの宗主権を放棄させた。ルアンパバーン王国はフランスの保護領となり、王家は名目的な存在となった。しかし重税を課すフランスの支配に対する抵抗は続いた。
4.ラオス独立の戦い
  第2次大戦中、この地に侵略してきた日本軍は、1945年にフランス人を追放して、ルアンパバーン王シーサワンウォン(在位1904-59年)に独立を宣言させた。
  日本の敗戦後、ラオスの最植民地化をめざすフランスが再度侵略を開始し、全土を占領した。フランスはシーサワンウォン王をいただくラオス王国政府を樹立、1953年に完全な独立を認めた。1957年には左派反仏勢力(ラオス愛国戦線。ルアンパバーン副王の子・スパーヌウォン殿下が結成)との連合も実現したが、まもなく分裂し、折りから激化するベトナム戦争と一体化した内戦となった。1973年左派優位のうちに和平協定が結ばれると、1975年には王国政府の閣僚や軍幹部が次々と国外へ脱出、同年王政廃止と人民民主共和国の樹立が宣言され、最後の王シーサワンワッタナーが退位して、ルアンパバーンは政治的役割を終えた。
5.現在
  1985年に始まったソ連のペレストロイカを受けて、ラオスも自由化・開放化が進められた。1995年にはユネスコの世界遺産に登録され、内外の観光客を集めている。
・・・・この項目は「新版 東南アジアを知る事典 平凡社、2008年」を参考にしました。
foot foot  行き方
1) タイから
空路・・・・バンコクから、ラオス国営航空・バンコク航空がそれぞれ毎日1便ずつ、チエンマイからラオス国営航空が毎日1便。
陸路
(1)チエンコーンから船でメコンを渡り、フアイサーイで入国。そこからルアンパバーンまでメコンを下る。スピードボートで1日、スローボートで2日
フアイサーイからスローボート2日間の旅の詳しい情報あり。→こちら (2)ナーン県北部からラオスへ入るルートもある
(3)2012年、チエンマイからの直行バスが開通
2) タイ以外の国から
空路・・・・シエムリアプ、ハノイ、景洪などとの間に航空便あり。
陸路・・・・中国・モーハンからラオスのボーテンに入国。バスで、ルアンナムター、ウドムサイを経由して到着
3) 国内
空路・・・・ウィエンチャン、パークセーなど主要都市と結ばれる。
陸路・・・・空路同様、各都市とバスで結ばれる。ウィエンチャンまで約10-11時間
上へ戻る

linkbar HOME MekongTOP Luang PabangTOP